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【挑戦してよかった事】とあるハードボイルド文学論争に決着をつけた「オイラーの公式の近似性」と「ベイズ更新のメモリレス性」。

以下の投稿で久し振りにダシール・ハメット((Samuel Dashiell Hammett 、1894年~1961年)の名前に言及した折に思い出したのが、かつてネット上で発生した、とある「ハードボイルド文学論争」の顛末。

まずは私のハードボイルド・ファンボーイ(オタク)としての立ち位置について言及しておきましょう。一言でいうとレイモンド・チャンドラーの未完作「プードル・スプリング物語(Poodle Springs)」を補完書して1989年に完成させたロバート・B・パーカー(Robert Brown Parker、1932年~2010年)の「労働組合合法化を契機に断筆したハメットはその穴埋めもあって共産主義運動に入れ込んでいったが、チャンドラーはあえて真逆にハードボイルド探偵を資本主義社会の内側に送り込んで足掻かせた」説を色濃く受けてます。

同時代のサイバーパンク文学でいうとエフィンジャー(George Alec Effinger, 1947年~2002年)の「重力が衰える時(When Gravity Fails,1987年)」でも見られたアプローチ。この作品で完全に「権力の手先」として取り込まれた主人公は、その続編以降ではその立場でどうやって可能な限り正義を為すか必死で考える様になるのです。

ところが新左翼残党の少なくとも一部の方々は「ダシール・ハメットこそがハードボイルド小説の唯一の始祖であり、その唯一の継承者が日本の大藪春彦である」と主張したのです。学生運動終了後、海外に活路を見出そうとした元運動家達の悲劇的末路を描いた「赤い冒険小説家」船戸与一(1944年~2015年)すら容赦無く「転向者」と罵倒して切り捨てる激烈さ。

その文学的由来はデビュー作「野獣死すべし(1958年)」に余す事なく記されています。当時人気のあったロシア/ソ連文学のオンパレード。

ツルゲーネフの「猟人日記」から、ロシア文学に入り、次々に古本屋で買い集めては読む。邦彦はロシア文学の中に、権力への反逆と地鳴りの様に巨大な民衆のエネルギーを見た。そして、イヴァン・カラマーゾフの大審問官に人類の意識の極致を見た邦彦は、神々の黄昏に思いをひそめ、大戦の惨害に人間性の根底まで蹂躪され、しかも次の大戦の不可避を知る絶望は、「神は死んだ。人類への絶望のため……」という、ニーチェ流のニヒリズムを思想としてでなく、実感として受取る。

上掲大藪春彦「野獣死すべき(1958年)」

「鋼鉄はいかにして鍛えられたか」のニコライ・オストロフスキーを知る。 宗教といえども、この様に美しい人間を作らなかった。
来世の償いが無かろうと、燃える様なコミュニズムとソヴィエトへの信念と、厳しい義務を果したという満足の他何も無くとも……。歌う明日のために! コミュニズムは世界の青春である。
「流れよ、悲しい涙。泣け、ロシアの人々!」
ファシズムに反抗して散って行ったコミュニストの苦渋に満ちた魂につちかわれた、邦彦のくすぶりは火を吐く。
借り手の無い図書館のマル・エン全集をむさぼり読んでいく。

上掲大藪春彦「野獣死すべき(1958年)」

失意にさまよう邦彦に、若くして決闘で倒れたロシア悪魔派の天才、レールモントフの毅然たる姿が圧倒的にのしかかってくる。
華やかに雅やかな挙措と、内に荒れ狂う暴君の血。
己れの破滅にまでみちびく絶望につかれ、悪行の中にのみ生きがいを感ずるペチョーリンの姿は邦彦の偶像とまでなる。
人生は芝居だ。幕間喜劇にすぎないとふれまわって、芝居の方法論をまなぶ。

上掲大藪春彦「野獣死すべき(1958年)」

四年になってから、多産をもって鳴る翻訳業教授の口ききで、アメリカの小説の翻訳の下請けをやる。  卒論は「ハメット=チャンドラー=マクドナルド派に於けるストイシズムの研究」である。大学院に残り、アメリカ文学を専攻する。

上掲大藪春彦「野獣死すべき(1958年)」

しかしながらこの思想遍歴、まるで「(彼らがこよなく憎む)イタリアン・ファシズムの誕生」そのものなのでは? そう指摘したら「違う違う、凡百はこれだから困る。真実は真逆。この方法だけがファシズムを打倒する唯一の方法なのだ!!」。なるほど、戦前最大のマルクス主義理論家戸坂潤いうところの「自由主義の本質は絶対王政だから真っ先に滅ぶ。最後の決戦はファシズムと共産主義の間で遂行される」の実践例という訳ですか。確かに「反スタ精神」さえ置き去りにすれば不可能でもありません。

その一方で、現実の彼らはそれぞれ(本意不本意はともかく)私が奉じるロバート・B・パーカー流処世術「あえて資本主義の世界に取り込まれた上で、いかなる善がなし得るか探す」アプローチによって現実への適応を果たしている様に感じられたので、その事を指摘すると嘲笑してこんな事を言うのです。「そんな子供っぽい言い訳なんて何処にも通用するもんか。一刻も早く俺達みたいにちゃんとした大人の分別を身につけろ。これは不正期戦争なのだから、敵を完全に倒し切るまで敵側の兵站に依存し続けるのは正当に認められた戦い方。何も恥じるところはないばかりか、いまだに正義を遂行してるのは俺達だけで、他の連中は全て愚かな間違いを繰り返しながら自分が死ぬ順番を待ってるだけの藁人形に過ぎないんだ。なんでそんな誰でも知ってる基本的事実すら分かってないんだ?幼稚園児じゃあるまいし(笑)」と豪語。実は以下の投稿における以下の描写はこれに倣ったものだったりします。

誰もが無邪気に「(資本家がトラストや科学的管理法による搾取といった不当な手段で積み上げる)富」こそ「呪われた指輪」と認識してきたのに,実際には「運動家による世界救済の夢」の方が「呪われた指輪」として機能してしまったという話。その一方で「ニーベルングの指輪」におけるヴアルハル城(国際的資本主義)はその罪によって焼き滅ぼされるどころかますます栄え、ディズニーランドにおけるシンデレラ城の様に「誰もが見上げる高み」としてこの世に君臨する様になったのでした。

上掲「その黎明期、コンサルティング業界はナチスと弾劾されながらナチズム打倒を目指した?」

実際、彼らの中には経営者やコンサル的仕事で荒稼ぎして贅沢な暮らしを謳歌していると自称してその肩書きをひけらかすタイプが少なからぬ比率で混ざっていたのです。まさしく「木を隠すなら森へ」というアレですね。

この時の議論自体は完全に平行線を辿って終わってしまいました。いや、それはあくまでこちら側の認識で、相手側の「またもや当然の結果として勝ってしまった。敗北を知りたい」なる認識を一瞬だに破れなかったのです。しかし後から思えばこういう場合にも、以下の投稿で述べた数理再勉強の結果は有効だったという訳です。

「オイラーの公式の近似性」

まずは相手側が絶対と信じる自らの「準安定状態」について疑問を呈する事から始めましょう。

「革命家に勝利の栄光はない。いかなる体制の転覆に成功したとしても、その次の瞬間から新体制側による不穏分子の粛清が始まるからである」なるニヒリズムから革命を正当化する如何なる理論の樹立も拒んだオーギュスト・ブランキ((Louis Auguste Blanqui、1805年~1881年)。その彼は「天体による永遠」の中で、それでも革命家達が時代を超越して現れ続ける現象を天体の永劫回帰運動と結びつけて語ります。「浜の真砂は尽きるとも、世に盗人の種は尽きまじ」なる石川五右衛門の辞世の句の向こうを張った大見得切りという訳ですね。

ところが実際の円運動を規定するオイラーの公式

$$
e^{θi}=\cos(θ)+\sin(θ)i(-π≦θ≦+π±2πr)
$$

においてネイピア数e(2.718282…)と円周率π(3.141593…)は無理数。すなわち近似としてしか捉えられない厄介な存在なのです。1回転しか扱わないで済む円周率πはともかく、回転数rの有効上限/下限を定めるネイピア数eの精度は重要で、普通のパソコンで計算可能な範囲では10回転も円弧を巻いてくれません。

つまりその正体は回転しながら無限に中心にむけて落下していくか、あるいは離れていく螺旋運動であり、永劫回帰概念とは真逆の「(誰も同じ場所に留まれない)諸行の象徴」だったという事になる訳です。「準安定性」は、こうした全体像のごく一部の抽出として存在するに過ぎません。

「ベイズ更新のメモリレス性」

ところで2000年代の私は、携帯電話向けミニゲームサイトの運営を任されていたのですが、そこで思い知ったのが「新しいパズルゲームへの要請が強まっているのでそれを追加すると、翌日からは(感謝の言葉など一切なく)新しいアクションゲームへの要請が強まる」なる過酷な現実でした。これこそある意味、この世界で最も非情な「ベイズ更新のメモリレス性」の顕現という次第。

ベル・フックスが「1970年代のウーマンリブ運動はブルジョワ白人女性の専有物で貧困黒人女性の観点が欠落していた」と弾劾し、マッキャノンがセクハラ問題を告発して一世を風靡した黎明期ラディカル・フェミニズム運動も、この冷酷無残な法則の適用を免れる事は出来ませんでした。すなわち「当時世界が本当に求めて革新部分」の吸収が終わるとその「残りカス」は急速にその輝きを失い、ただ世間から疎まれるだけの存在へと堕したのです。あたかも新左翼運動が辿った盛衰の道をなぞるかの様に…

改めて思い返してみましょう。

  • 大藪春彦「野獣死すべし(1958年)」が日本を震撼させたのは、1950年代じゅうはかろうじて「アプレゲール(après-guerre=戦後派)の憤怒」に寛容な雰囲気が存続したから。それ自体は1960年代には跡形もなく霧散してしまう。

  • 1960年代に入ると「野獣死すべし」を嚆矢とする伊達邦彦シリーズは、当時流行してた007シリーズなどに倣ってスパイ謀略物へと変貌する形で生き延びた。とはいえ肝心のジェームズ・ボンド像すらも世間人気に合わせて「その必要がある時には何処までも非情になれそうな」ショーン・コネリーのそれから「どんな困難に直面しても余裕を失わず、ユーモアも忘れない」ロジャー・ムーアのそれに改変されていく。

  • 1980年代における角川映画のリヴァイヴァルに至っては、「復活」の代償として「悪を追求する主人公が最後は自業自得の最後を遂げる」ピカレスク譚に改変されるのを余儀なくされてしまう。

まさしく「実存が本質に先行する」サルトルの実存主義。ニーチェが「仏教的ニヒリズム」として憎み抜いた「色即是空、空即是色」の世界…

そういえば今年のノーベル物理学賞は「深層学習概念の創始者」米プリンストン大のジョン・ホップフィールド名誉教授と、カナダ・トロント大のジェフリー・ヒントン名誉教授が獲得しました。

こうして「数式そのものが学習する」様になった時代には、ますます実際の現実を構成する数理についての理解力が欠かせないものとなってきます。遅まきながら、何とか時代の変遷に間に合って本当に良かった…

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