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「#未来のためにできること」に応募してみました(12)「戦力外通知される恐怖」が、ついそこまで?

以下の投稿についてのプロダクション・ノート的まとめ。

出発点としての福沢諭吉「脱亜論(1885年)」

実は以下の投稿もこの投稿と同じく出発点は福沢諭吉「脱亜論(1885年)」、

それも割と読み飛ばされがちな第一段落。

世界交通の道、便にして、西洋文明の風、東に漸し、至る處、草も気も此風に靡かざるはなし。蓋し西洋の人物、古今に大に異なるに非ずと雖ども、其擧動の古に遅鈍にして今に活發なるは、唯交通の利器を利用して勢に乗ずるが故のみ。故に方今当用に國するものゝ為に謀るに、此文明の東漸の勢に激して之を防ぎ了る可きの覺悟あれば則ち可なりと雖ども、苟も世界中の現状を視察して事實に不可ならんを知らん者は、世と推し移りて共に文明の海に浮沈し、共に文明の波を掲げて共に文明の苦樂を與にするの外ある可らざるなり。文明は猶麻疹の流行の如し。目下東京の麻疹は西國長崎の地方より東漸して、春暖と共に次第に蔓延する者の如し。此時に當り此流行病の害を惡て此れを防がんとするも、果して其手段ある可きや。我輩斷じて其術なきを證す。有害一遍の流行病にても尚且其勢には激す可らず。況や利害相伴ふて常に利益多き文明に於てをや。當に之を防がざるのみならず、力めて其蔓延を助け、國民をして早く其氣風に浴せしむるは智者の事なる可し。

世界の交通の道は便利になり、西洋文明の風は東に進み、至るところ、草も木もこの風になびかないことはない。西洋の人物は古代と現在に大した違いはないのだが、その活動が古代は遅鈍、今は活発なのは、ただ交通の機関を利用し、勢いに乗じるがためである。ゆえに最近、東洋に国がある民のために考えると、この文明が東に進んでくる勢いに抵抗して、これを防ぎきる覚悟であれば、それもよい。しかし、いやしくも世界中の現状を観察し、事実上それが不可能なことを知る者は、世の移りにあわせ、共に文明の海に浮き沈み、文明の波に乗り、文明の苦楽をともにする以外にはないのである。文明とは全く、麻疹の流行のようなものだ。目下、東京の麻疹は西国の長崎地方より東に進み、春の暖気と共に次第に蔓延するもののようである。この時、流行病の害をにくみ、これを防ごうとするにしても、果してその手段はあるだろうか?筆者はその手段は断じてないことを保証する。有害一辺倒の流行病も、その勢いにはなお抵抗できない。いわんや利益と害悪がともない、常に利益の多い文明はなおさらである。これを防がないばかりではなく、つとめてその普及を助け、国民を早くその気風に染ませることが知識人の課題である。

上掲「脱亜論全文」

歴史のこの時点ではインターネットは存在してないので、産業革命の産物たる「全世界を結ぶ機関車と汽船の交通網(およびそれに沿って設置された電信と海底ケーブル)」の話です。それにつけても「文明とは全く、麻疹の流行のようなものだ。目下、東京の麻疹は西国の長崎地方より東に進み、春の暖気と共に次第に蔓延するもののようである。この時、流行病の害をにくみ、これを防ごうとするにしても、果してその手段はあるだろうか?筆者はその手段は断じてないことを保証する。有害一辺倒の流行病も、その勢いにはなお抵抗できない。いわんや利益と害悪がともない、常に利益の多い文明はなおさらである。これを防がないばかりではなく、つとめてその普及を助け、国民を早くその気風に染ませることが知識人の課題である。」なる表現は苛烈。しかしながら、かかる決然たる覚悟がなかったら日本という国は為す術もなく欧米列強の侵攻に屈し、植民地化されていたかもしれないのです。

早くから予想されてきた「Big Data活用術の人間への依存率が低下していく時代」の到来

そもそも深層学習が巨大な意味分布論的確率空環を構成するのに「餌」として必要とするのはインターネット上に積み上げられた大量のデータそのもの。いわば珊瑚礁の様なもので、それを積み上げてきた珊瑚虫たる我々と直接繋がっている訳ではありません。

  • 人間とその歴史的営みが積み上げてきた分布意味論的確率空間の関係を珊瑚虫と珊瑚礁の関係に例えたのは以下の投稿が最初。

そこから新しい情報量が得られなくなったら「(欲しい内容が指定した通り得られる)養殖」を考える様になるのは、ある意味自明といっていいでしょう。

SNSの場合は、そもそも黎明期から「利用者がインターネット上に置いてさまざまなアカウントを使い分けるので、現実の消費者像に結びつかない事」が問題とされてきました。

「存在しないなら自分で作っちゃえ」なる発想に至るのは時間の問題だったといえるでしょう。

そう我々ネット上の住人は、インターネット利用技術の最先端の現場から「戦力外通知」されつつあるのです。

対抗策としての「情報量回復手段」

そこで思いついたのが以下という次第。

情報量回復の手段は2通り。アノマロカリスの生存手段を模倣して追い抜いた魚類の様に主要技術への知識を深めて出し抜き方を考えるか、あるいは(棘や殻や毒で自衛して捕食者の関心を下げる作戦の真逆に)、生成AIの学習が十分でなく、かつそれなりに需要がある領域を伸ばして自らの付加価値を高めて関心を引き戻すか。

上掲「シンギュラシティより恐ろしい「Big Data活用術の人間への依存率が低下していく時代」における個人のSustainability戦略についての話。」

まぁ私のこのマガジンにおける投稿は、その全てが具体的実例であったと言っても過言ではありません。人工知能的技法についての知識を増やして利用出来るものは利用する一方、なまじの深層学習では到達出来ない方向に自分の知識を増やすのです。

そんな基本方針が固まった時点で以下続報…

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