以下の投稿で一つのアプローチ案が固まりました。
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F(a_n,x_n)=\sum_{i=1}^n a_ix_i=a_0x_0+a_1x_1+a_2x_2…
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\int_0^{t_{max}}F(t)dt
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\int_a^b\sqrt{1+(\frac{dy}{dx})^2}dx
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実はこれを執筆するとき脳裏にあったのは数学の世界でも物理学の世界でもなく漢詩「正気歌」の世界だったのです。
文天祥「正気歌」
作者文天祥(1236年~1283年)は宋末の宰相。
儒教の事はそれほど詳しくないのですが「気一元論」に基づく内容に見えて「その気が理そのもの」と言わんばかりの複雑な構造を備えています。
理気一元論といったら中国では陸王学、日本では陽明学と呼ばれる知行同一、すなわち実践性を重視する派閥が有名ですが、こちらは明代発祥。いずれにせよモンゴル人の侵攻を防げなかった朱子学批判から生じた形。
圧巻なのは「時代と場所を超越して顕現した(一階微分)気の結晶(二階微分)」を列記する箇所。意味分布論的にも「こうして実際の意味分布は構築される」実例として中々貴重といえましょう。
ここでは特に愛皇帝暗殺未遂事件
ここでは特に名作と名高い「出師表」
文天祥のディスクールが気一元論的な形式を取るしかなかったのは、祖国南宋がモンゴル世界帝国に滅ぼされた直後で「理が勝利を謳歌する」公正世界的発言を許されない状況に置かれていたからに他なりません。
「太史之簡」「董狐之筆」は古典「春秋」由来。ホメロス作の古代ギリシャ英雄叙事詩「イーリアス(希Ἰλιάς, 羅Ilias, 英Iliad)」「オデュッセイア(希ΟΔΥΣΣΕΙΑ, Ὀδύσσεια, Odysseia, 羅Odyssea)」の様に中国のみならず朝鮮半島や日本といった東アジア全域で基礎教養として強要されてきた基礎教養で「知識の珊瑚礁」全体におけるBIOS(Basic Input/Output System)/UEFI(Unified Extensible Firmware Interface)に該当する。
そう、珊瑚礁が各時代ごとに層を為して形成されていく様に、基礎教養こそ継承されても時代によって選好されるディスクールが推移していく事は防げないのです。
そして後に日本でもこの形式に倣った漢詩が作成される事になります。
藤田東湖「和文天祥正氣歌」
藤田東湖(1806年~1855年)は幕末の水戸藩藩士
こういう人物の代表作なので「和文天祥正氣歌」は事実上、尊王攘夷運動イデオロギーの表明書という体裁に。
ここから「時代と場所を超越して顕現した(一階微分)気の結晶(二階微分)」の列記箇所。
まぁ水戸藩といえば廃仏毀釈イデオロギーの大源流でもあるので多少はね?
こちらも仏教批判…
こちらは攘夷論ですね。
そしておもむろに顔を出す「南朝正統論」…
この人物は太平洋戦当時戦意高揚に使われ、そのせいで敗戦後人気が凋落するという数奇な扱いの変遷を受けています。
江戸時代からの人気コンテンツで「おかる/勘平」の様なラブストーリーや「四谷怪談」の様なホラー物も派生させてきました。
最近は流石に人気の翳りも?いやいや、まだまだ?
いかにも漢文らしい激烈なディスクールですが、やがて水戸藩は当事者だけでなく血族まで殺し合う絶望的な内ゲバ状態に突入して自滅。そもそも勤王を掲げつつ現天皇の血統を否定する南朝正統史観だったし、廃仏毀釈運動は神仏分離運動にスケールダウンし、攘夷の意味も「夷狄を盲目的に打ち払う」から「列強の圧力に(その強さに学ぶ)富国強兵で対抗する」と換骨奪胎され、こうしたディスクール全体が滅びた古代種系統の様に外測化(「歴史の掃き溜め」送り=観測範囲外への放逐)される展開を迎えたという次第。
「正気」概念そのものが内包する先進性
十分な長文となったので細かい指摘は次回以降の投稿に回す事にしますが、私がこの二つの「正気歌」で気になってるのは普段あまねく分散して存在し検出不可能な「気」が時として凝集して有意水準を超え、さらには(珊瑚虫が珊瑚礁を形成する様に)後世に伝えられる事績を残していくというそのイメージ展開そのもの。意味分布論や遺伝子中立論と組み合わせると思わぬ発想の突破口が開けるかもしれません。
そんな感じで以下続報…