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例えば文章を書くだとか、随筆を愛するだとか、そういうことなのかもしれない。(2021年2月17日(水))
昔…10年くらい前でしょうか。出口治明さんの著書を読み、「管理職という仕事であれば、どこに行っても通用する」ということに希望を抱いた私は、それ以降、立場は管理職ではないのですが、「みんなが働きやすい環境を作る」べく、勉強や実践を重ねてきました。
そんな私ですが、今朝になって急に、「それって本当に私がやりたかったことなのだろうか、無理を重ねていないだろうか」と考え始めているところです。
数日前、フレデリック・ラルーさんの2019年の日本での講演を起こした記事を読んで、「大きな会社の中で息が詰まりそうになっている人々に対して、本当に自分に正直になれるような空間を作る」とたのしく仕事をしていたのに、「突然の悲しみに襲われて、エネルギーが全部なくなってしまった」「自分が今感じている悲しみは、自分が愛して「これでやっていこう!」と思っていた仕事がこれから終わっていくことに対する「喪失の嘆き」でした。私はもうこれ以上、大企業のオレンジ組織との仕事を続けることはできない、ということがわかった」と書かれていたそのくだりに、ぐっと心を掴まれたのですが、
今の私は、フレデリック・ラルーさんのその気持ちと、同じ気持ちでいるのではないかと感じているのです。
内輪でしか通用しないスキルを磨き続ける閉塞感に悩んでいた10年前の私にとって、「汎用性」という言葉は希望だったのですが、ちょっとこの希望にしがみつきすぎてしまったのかもしれません。
#エッセイ #日記 #memento