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自分を責めず、自分を責める人に巻き込まれずにいよう。(2021年2月16日(火))


昨日は、「生物の生きる目的は、自分の向けたいところに自分のエネルギーを効率的に向けることにある」ことを忘れずにいようと考えたり、「やるべきとわかっていることがなぜかできない現象は、自分を責めること(ここから派生する形で、そんな自分を正当化すべく現実逃避することを含む)から生まれる」と気づいたりしたのですが、これらのことを未来の私に引き継ごう(12歳の私との対話のネタにしよう)と、夜にメモを残して置いていました。

そのメモを引き継いで。まず、「生物の生きる目的は、自分の向けたいところに自分のエネルギーを効率的に向けることにある」というのは、私が池谷裕二さんの著書から学んだことで、自分がどこを目指したらいいのかわからない「からっぽ」になりそうになった時や、他人の「からっぽ」に巻き込まれそうになった時に、このことを呪文のように思い出せば、この言葉が方位磁針になるだろうと考え、たどり着いた言葉になります。今自分がしようとしていることは本当に、自分が自分のエネルギー(=時間)を注ぎたいと思えることなの?と問い直す、いい言葉になりそうで。

次いで、「やるべきとわかっていることがなぜかできない現象は、自分を責めること(ここから派生する形で、そんな自分を正当化すべく現実逃避することを含む)から生まれる」と気づいた背景には、なぜかしらいつも約束が守れなかったり、「あー、ぼんやりしてた〜」と悪びれることなく言ってのける人たちの謎が、私自身がかつて「やるべきとわかっていることがなぜかできない現象」に苦しんでいたのと同じ原理かもしれないと考えたということがあって、私がこの現象に見舞われた時に共通していたのは、「できない自分を責める気持ち」があったことだなと気づいたという経緯があったのでした。

#エッセイ #日記 #memento