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『もう終わりにしよう。』─終わりへの道はフラグで埋められている

 イアン・リード『もう終わりにしよう。』(ハヤカワ・ミステリ文庫)が気に入ったので、感想載せようと思っていたら、Netflixで映画化作品が配信されました。
 概ね原作どおりだけど、クライマックスは非常に映画的。盛り上がります。ラストの解釈が少しだけズレてて、でも納得の幕引き(文字通り)でした。変だけど! 変な映画だけどね!
 原作読んでいない人が見るとどう感じるのかな……。けど、映画はさすがにわかりやすい。と思う。しかし、情報量は映画の方が圧倒的に多い。それを確かめるために見るのも面白いかも。おすすめです。ごはんもおいしそうだったしね。おいしそう、だけだったんだけどね……。
 くわしい感想を読みたい方は、別ブログの方へどうぞ。ネタバレしております。
 続いて原作の感想ですが、こちらもネタバレしていますのでお気をつけて。

▽『もう終わりにしよう。』イアン・リード(ハヤカワ・ミステリ文庫)
 雪の降るある日、わたしは彼氏のジェイクと田舎道を車で走っていた。初めて彼の両親の家へ行く。つきあいだして間もなく、これが初めての遠出だ。これから何が起こるのか、もっとわくわくしていいはずなのに、わたしはそんな気分ではなかった。なぜなら、もう終わりにしようと思ってるから。("I'm Thinking Of Ending Thing" by Iain Reid, 2016)

 Kindleで買って読んでいる最中、ずっとこんなこと思ってた。

「えっ、これハヤカワ・ミステリ文庫だけど、ミステリじゃないよね(´Д`;)。超怖いんだけど!」

 全体を覆うテイストはほぼホラーです。
 とはいえ、読み終わった段階では「え?( ゚д゚)ポカーン」というのが正直なところでした。そこで、作者のアドバイスに基づいて(これ変な文だけど、本当にそうなんですよ)、最初から読み返してみました。ただしじっくりと読み返すというより、作者が埋め込んだフラグみたいなもの(主に、都度都度はさみこまれる素性のわからない人たちの会話)を頼りに文字通りの拾い読みを。Kindleなので、そういうポイントとなる言葉にマーカーをどんどんつけて(こういう点ではとても便利)。

 そしたら、全体像が次第に見えてきました。

 彼女の方が少し別れを意識しているカップル。二人で彼氏の田舎の実家へ行く。本当に辺鄙なところで、彼女はその実家と両親に不審な点や違和感を抱き、やはり「終わりにしよう」と思うけれど──というホラーとしては順当な滑り出しなのですが、なかなか思ったような方向には行かないのです。かといって伏線がバシバシ決まる、というわけでもない。

 実は、「こういうラストじゃないかな」とは思ってました。それは当たっていた。しかし、読み返すとそれだけではないものが見えてくる。単純なトリックではなく、タイトル「もう終わりにしよう。」の意味が際立ってくるのです。

 私が思うに、主人公はこの「物語」をよすがにして生きてきたのではないかと。物語っていうか、まあぶっちゃけ「妄想」です。もっと言えば、主人公である「わたしたち」──つまりジェイクが、30年以上前に電話番号を教えられなかった女の子とのその後を妄想したものなのですよね。正確には、彼女との別れの1日を。

 とはいえ、妄想はあなどれないですよ。単なる頭の中の空想でしかないのに、それを考えているだけで楽しく、毎日がクソみたいでもそれを考えている時は日々の苦しみを忘れられる。モンゴメリの『青い城』や、映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』などで描かれたように。

 おそらく彼は、30年以上、彼女との楽しい妄想を支えにして暮らしていたのです(多分書いてもいたろう)。

 だがある日、その妄想は彼の心を救う力を失ってしまう。原因はいろいろあるでしょう。単純に「これは現実ではない、物語だ」と気づいただけかもしれない。物語であるなら、終わりにしないといけない。そう思ったのかもしれない。「どう終わらせよう」と考えた時に「実家への帰省」という展開を思いつき、それによって自分が何をしたいか、どう終わりたいかがわかった故に、あんなふうな死に方を選んだのではないのか。

 妄想に突然関心を持てなくなる、というのは私にも経験がある。お気に入りの妄想は日々の楽しみであり、活力の源でもある。それ故、それに関心が持てなくなった──ぶっちゃけ飽きてしまったと悟った時のショックは大きい。私の場合は妄想は仕事の一部でもあるし、何度も飽きた経験があるので、「そういうこともあるさ」と考えられるのですが、それでもとても残念な気分になるから、人生のよすがにしていた人にとっては「もう生きていてもしょうがない」という極端な思いを抱いても無理はないと感じます。

 だから彼は、この物語を「終わりにしよう」と思ったのです。楽しかった頃は、ずっと終わらない物語だと思っていたかもしれない。だが、それはどこまで行っても「妄想」でしかない、という絶望を覚えてしまったのかもしれない。その絶望感はつまり、想像力がなくなったと思い込むこと。それは生きる気力を失うも同然なのですよね。

 そういう飛躍を物語の骨子にしようとした発想が面白い。

 物語の最初の方に、こんなことが書かれていました。

「どう行動するかより何を考えているかのほうが、真実や現実に近いことがある」

 楽しい「妄想」の中の人生がずっと続かないなんて、気づかないでいたかったのであろう。しかし気づいてしまったから、

「もう、終わりにしよう」

 と言うしかなかったんだな。

 ──というのが私の解釈です。読んでないとよくわからないと思うし、読んでもわからないかもしれないね……。細かい説明してもしなくても、ネタバレするしないも関係なく、人それぞれに解釈がある。私は、「物語をどう終わらせるか」というのがテーマのメタフィクション、と感じました。

『もう終わりにしよう。』というタイトルは、冒頭の一文、
"I'm thinking of ending thing"
 の訳なのですが、読み終わるとこんなふうな意味に思えてくる。

「わたしはエンディングのことを考えている」

 どんなエンディングがこの物語にふさわしいのか、と考えている、と。

 他人(つまり都度都度出てきた人たち)からすれば、一人の孤独な男が不可思議な自殺をした、というだけのお話です。孤独な主人公ジェイクの、あったかもしれない人生の物語。「あそこでああすればよかった」という気持ちが、実像と折り合いつかなくなった人の話。終わり方は同じであっても、片方は何かが起こったゆえの、片方は何も起こらなかっただけの死。遺書である物語を読んでも、おそらく彼の本心は誰にもわかってもらえない。

 でも、彼は一つの「物語」を書き切った。小説家の端くれだから言えることですが、物語は終わらせる方が難しいのです。そのことには、彼は満足をしたかもしれないね。

【10/5追記】
 先日思いついたことなんですが、この作品の「妄想の終わり」への絶望感は、「好きなものを好きと思えなくなったオタクの絶望感」に似ているかもな、と。
 ずっとずっと、一生推しと思っていたジャンルやキャラに突然興味が持てなくなって絶望する、というのは、趣味を生きがいにしている人にはありえそうなことです。推しを中心に生きてきた人にとって単純に「飽きた」と割り切ることは難しいし、多分、うつ病の可能性も大きい。うつになると好きなものに興味なくなりますからね。
 そう考えると、決して特殊なことではないな、と改めて思いました。


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