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2023/3/22: まいにち だれかの ひとことを こころに。

 私はいつも神様の国へ行こうとしながら地獄の門を潜(くぐ)ってしまう人間だ。ともかく私は始めから地獄の門をめざして出掛ける時でも、神様の国へ行こうということを忘れたことのない甘ったるい人間だった。私は結局地獄というものに戦慄(せんりつ)したためしはなく、馬鹿のようにたわいもなく落付いていられるくせに、神様の国を忘れることが出来ないという人間だ。私は必ず、今に何かにひどい目にヤッツケられて、叩(たた)きのめされて、甘ったるいウヌボレのグウの音(ね)も出なくなるまで、そしてほんとに足すべらして真逆様(まっさかさま)に落とされてしまう時があると考えていた。
 私はずるいのだ。悪魔の裏側に神様を忘れず、神様の陰で悪魔と住んでいるのだから。今に、悪魔にも神様にも復讐されると信じていた。けれども、私だって、馬鹿は馬鹿なりに、ここまで何十年か生きてきたのだから、ただは負けない。その時こそ、刀折れ、矢尽きるまで、悪魔と神様を相手に組打ちもするし、蹴(け)とばしもするし、めったやたらに乱戦乱闘してやろうと悲愴(ひそう)な覚悟をかためて、生きつづけてきた。ずいぶん甘ったれているけれども、ともかく、いつか、化の皮がはげて、裸にされ、毛をむしられて、突き落される時を忘れたことだけはなかったのだ。
 利巧な人は、それもお前のずるさのせいだと云(い)うだろう。私は悪人です、と言うのは、私は善人ですと言うことよりもずるい。私もそう思う。でも、何とでも言うがいいや。私は、私自身の考えることも一向に信用してはいないのだから。

ー坂口安吾「私は海をだきしめていたい」よりー


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