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大学教育からみる外向型・内向型

こんにちは。やよいです。

長らくだんまりしていて誠にすみません。笑 本当にきまぐれなので温かい目で見て頂ければ嬉しいです。

突然なのですが、皆さんはいわゆる外向型か内向型、どちらにあてはまるでしょうか?

内向型の本質は、エネルギーや興味関心が内向きに向かう事です。外向型はその逆で外向きに向かうことです。なので勿論、外向型や内向型である事は人との交流・対話に積極的かそうじゃないかと言う事にある程度の相関関係・因果関係共に多少はある事でしょう。
もちろん、中には人との交流に積極的だけど内向型だ、また逆も然りといった場合もありますが。

心理学者カール・ユングの分類を元にしたMBTIなども一時期流行ってましたね。(流行ってたのは16性格の方ですが、便宜上。)

最近、大学に通っているとかなりその構造において、理想とされるような生徒像に最近話題にも上がることの多い多様性が欠けているんじゃないかなと思います。

日本でも一部国際教養系の学部などでそういう場所はあるとは思いますが、北米の大学の特に人文科学系や社会科学等の教科ではディスカッションなどが盛んに行われることがあります。日本の大学でいう所のゼミみたいな感じでしょうか。
ここで参加しそびれると、勿論評価する担当者の裁量に委ねられる所ではありますがClass Participationという評価項目から点数が引かれたりします。

学校などにおいて、積極的に発言する子、そうではない子に分かれていましたよね。それが直接評価に結び付く感じで、少ないときで5%,(もちろん0の授業もあります)多いと下手すると20%や30%にまで達することもあります。

他にも、主にグループで何かを成し遂げたり作り上げる事だってあったりしますよね。学校でも職場でも。

しかし、この評価方法、本当に生徒たち各々のポテンシャルを発揮するのに良いやり方でしょうか?

私は、これは一部の生徒のアイデンティティやポテンシャル能力に関わる深刻な問題だと考えています。
下手すると一部の生徒を潰してしまうことになりかねません。

私も内向型人間の一人ですが、私達の脳は行動や対話よりも主に思考することをベースにプログラムされています。内省的な方が多いです。

全世界の三分の一から二分の一がこの脳を持っているとされているみたいです。

つまり多くの場合、前に立って喋ったり、注目される事を好みません。しかし、こういうタイプの人間は主にクリエイティブな能力が要求されるものや、文章を書くのに長けている事が多い傾向にあります。

それが活きる職業はもちろん沢山あることは事実ですが、一般的な社会や学校では現実的にはやはり講師や教授からは外向型人間の方が高く評価される事が多いのです。

ここで「だからといってそのような評価方法を無くしてしまうと、今度は外向的な人のアイデンティティが潰されてしまうだろう」と反論する方がいると思います。勿論それは想定しています。

ここでの問題点としては、あらゆる社会において外向型が好ましいとされ、内向型であると評価されにくくなっているという構造です。前者に勿論問題はございません。外向的であると人からの印象も良いですし、人間関係が円滑になることもあるでしょう。つまり外向型であるのも立派な才能であり、能力の一つとも考えて良いんです。

しかし、内向型人間があらゆる場面においてどうしてもその秘めている才能や能力について看過され、蔑ろにされているなと感じることが多いんですよね。

主な問題点として、良い成績が取りたい学業に対して真剣な内向型は、集団に注目されている中喋るのに苦労してしまう傾向にあります。その性格が故、好成績を取ろうと努力するでしょう。

そうすると何が起こるでしょうか。無理して発言しようとし、テンパり、恥をかいてしまう事があるかもしれません(経験談)。笑 内向型の良いところ、ポテンシャル能力を強引に外向型のそれに書き換えられてしまっているんですよね。
「多様性を重視する海外の大学では、一人一人がそれぞれの意見を発言する事が求められる」という類の文言を見る度、「多様性」という言葉で本物の多様性を潰しているなと感じ辟易しています。

「多様性」と言う言葉で逆に同調圧力をかけていると言っても良いでしょう。私が住んでいるカナダにももちろん同調圧力は存在しますし、人間はどうしてもそういう生き物なんでしょうね。

ならば、あらゆる人がポテンシャルを発揮できる教育現場を作るためにはどうしたらよいのでしょうか。
もしも私が教育者ないし教授であれば、すべての人に各々のポテンシャルを発揮してもらうために、5個くらいの違う採点基準を設け、一番点数が高い物を採用するといった方法を取ります。一つではParticipationを0%にして代わりに他の項目の割合を増やしたり、逆にしたり。

これはやっている方ももちろん既にいるのですが、依然として発言を求めたりする方も多いんですよね。西洋の教育自体、ソクラテスの問答法をモデルとしていると誰かが言っていたので仕方ないっちゃ仕方ないんですが。

今回の記事はある動画を参考にして書きました。生憎日本語版では見つけられなかったのですが、字幕で日本語が見れる物ならありましたので載せておきます。

それでは!

やよい

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