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猫日和 63 サンリスの猫

1週間以上旅行に出る時、一番にしなくてはならないことは、猫シッターの依頼。
うちは幸い大変いいシッターさんが見つかり、何回かお世話になった。

絵描きの友人が、フランスに行ったら、サンリスには是非お行きなさい、中世の雰囲気をそのまま残していて、素晴らしい田舎町だ、これを見ない手はないと言う。芸術家の絶対のお勧めは逃してはならないと出かけた。

パリから急行で約30分。鉄道の切符を見せれば、行った先のバスにはタダで乗れる、という。

田舎町、って言ったって、30分で着くならたいした遠さじゃないわね、悠々日帰り出来るわ、と思った。そこが、物を知らない旅行初心者の浅はかなところ。無謀だったこと、後になって知る。

後で分かったことだが、電車は1日に何本か。バスは接続しておらず、1時間に1本どころか、2時間に1本。 
行きはよいよい帰りは怖い。
どんな大変なことになるか、など考えず、気軽に電車に乗った私であった。

電車から降りて、バスを待ち、サンリスに行くまではまあまあ順調に行った。電車とバスに実際に乗っている時間は、合計で1時間程度である。

天気はよく、静かな町に降り立った。

人通りも少なく、静まりかえった町。
猫はいないのかしら?
そう言えば、うちの猫、お母さんはなかなか帰ってこないけれど、どこにいっちゃったんだろう、なんて思って、寂しがっていないかしら。

バス停の横の道を見ると、家の生垣が続いていて、50〜60m離れた家の、生垣の下から、小さな頭がのぞいた。
2度3度、その頭が出たり引っ込んだりした後、ものすごい勢いで小さな犬がこちらを目がけ、走ってきた。
全身がバネのように伸びたり縮んだりして、
わぁ〜い、
と声を上げているように走り寄ってくる。後からもう1匹。

走る速さがあまりに速いのですっかり子犬だと思っていたが、近くまで来たら、猫であることが分かった。そして、私の足元に到着すると、そのまま、ゴロンと腹を見せて横になった。

うちの猫、今頃どうしているかな?と思うと、現地で猫が現れる、という現象は何度かあるので、私の気持ちが日本にいて留守番している猫に通じて、たちまちにワープして、現地の猫になりすましてくるのではないか、と思うことがある。
ぼんやりして気がつかないでいると、ニャ、と声をかけられることもある。

この時も、家に2匹置いてきたので、こちらでも2匹だったのだろうか。

地面に落ちていた木の枝を拾って、じゃれさせたり、ひとしきり遊び、それから街中を見るために、
またね、
と言って、猫と別れた。

さて、大変だったのは、帰る時。

バス停には時刻表もなく、町の観光センターでもらったパンフレットによると、2時間に1本であることが分かった。

7月でかなり暑かった。
バス停に、タクシーを呼ぶためのボタンがあって、押してみたが、反応せず、壊れていることが分かった。万が一、インタホンが機能して、フランス語でペラペラ応答されたら、困るなとも思ったけれど。

ならば、通りに出てタクシーを拾えばよい、と、また旅行初心者は考える。
だが、タクシーなど通る町ではない。

それならば、やむなく次のバスを待つしかない。
陽はどんどん傾いて行く。

さっきの猫、いないかな?

と思って、遠くの、生垣を見ると、また、小さな頭が覗いて、次の瞬間、その猫達が、競うように、一目散に走り寄ってきた。
これは奇跡だ。
猫にはテレパシーが通じるのだ。

やっとのことでバスが来て、電車の駅まで戻り、電車の切符を買い、ホッと一息。
トイレに行きたくなった。

ここからが大変だった。

駅前に喫茶店はないだろうか?
コンビニはないだろうか?

日本の感覚で考えてはいけない。
そんなものどこにもない。
キオスクで聞くと、駅に有料トイレがあるという。小銭がないと使えないそうなので、両替してもらい、駅舎の裏手に行った。
コインを入れ、扉を開け、、、絶句した。

便座がない、明かりがない、トイレットペーパーがない、しかも、床はびしょびしょで、トイレの中は悪臭に満ち満ちている。
しかし、取り敢えず、用は足さないと、後何時間は我慢できない。
話には聞いていたけれど、糞尿ぶちまけていたパリだもの、こんなことで怯んではならじ、と、何とか目的を達した。さてトイレから出ようとしたら、扉は固く閉じてしまっていて、びくともしない。

トイレの中はほぼ暗闇。足もとはビショビショ。それも、水ではない、臭いのついた液体。誰も来てくれなかったら、この悪臭の中で、干からびて死ぬのかとさえ思えて、牢屋に入れられた囚人になった気がした。
あちこち触るのも気持ちが悪いほどの扉の辺りで、非常ボタンがないか、鍵がないか、と探って、汗びっしょりになり、長い時間格闘して、運良く鍵が外れ、外に出られた。
鍵は、外からコインを入れなければ開かず、その後のことは考えられていないのかもしれない。あんな人の少ない場所で、次の人が来ることは簡単には考えられないので、私は、誰とも連絡が取れないまま、一夜を明かすことになったかもしれず、トイレ掃除も稀なことなら、数日はそのままで、やはりニュースの記事になった可能性がある。

後で知り合いに言ったら、
フランスの知らないところでは、トイレの鍵は閉めちゃダメ、私も閉じ込められて酷い目にあった、
と。
 
開けて入る?

それほどの覚悟を持って入るものらしい。

知らないということは、いいこともあるが、海外では危険なことが多い、と身にしみて思った経験だった。

唯一の収穫は、サンリスの猫と、テレパシーで意思疎通が出来たこと。猫との交信に言葉はいらない。

これは2014年7月の話。




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