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前世への冒険

『デジデリオラビリンスーー1464、フィレンツェの遺言』(集英社)。森下典子著。
デジデリオ•ダ•セッティニャーノの生まれ変わりだ、と言われた著者が、前世の自分を探す旅に出た時のノンフィクション作品である。
デジデリオは、ダヴィンチやミケランジェロより一世代前の人物である。
大理石を彫刻することについては天才的で、彼の彫った天使の像は、柔らかな子供の頬や巻き毛が、とても石の作品には思えないと言われている。

森下典子がこの本を書くことになった、ことの発端は、『家庭画報』の編集部からの電話だった。前世に関する特集で、京都に、他人の前世が見える人がいるので、前世を見てもらって、ルポを書いてほしい、という依頼から始まった。

森下典子は、イランイラク戦争の時、タンカーのルポを書くために、乗組員が男ばかりの船に乗ってペルシャ湾に行き、イランからもイラクからも攻撃を受けたという。仕事なら何でも引き受ける気丈な女である。

映画になった『日日是好日』の著者でもある。
今はエッセイストという肩書きであるようだが、ノンフィクションライターと言う印象が、私には強い。

「前世」などという非科学的なものは信じない、と断ると、そういう人だからこそ取材して、記事にしてほしいとの返答。
だが、仕事である。その怪しい霊能者の嘘を暴く気満々で京都に向かった著者が、次々と語られる過去の自分の話に、意気込みを打ち砕かれ、資料のないことに苛立ち、不思議な前世を検証するために、イタリアフィレンツェに取材に旅立った。その時の話が書かれている。

森下は、後書きのところで、この本に書いたことは、全て本当に起こったことだ、とわざわざ書き記している。

美術史の記述にもない、専門の研究者の論文にもない、だが、京都の霊能者の婦人の話は、口から出まかせの話かと言うとそうではなく、現地に行って、教会で門外不出になっている古文書に当たり、また、デジデリオの住んでいた土地の役所に行って住民票や納税記録を調べると、ことごとく正確で、確かにその名の人物はそのように実在した、と言わざるを得ない。

それが過去の自分である、ということだけが、記憶を辿ろうとしても、手繰り寄せることが出来ない。
生まれ変わりとは。過去世とは。森下は、迷宮に迷い込んで、自分は何者であったかを調べ尽くそうとする。

密度濃く本に書かれていることは、読み手をぐいぐい引っ張り、読み手は腹を空かした民のように、それらを口に入れて、充分咀嚼して消化する暇もなく、先へ先へと文章を追い、次から次へとページをめくる。
後で、もう一度、ゆっくり読もう。そう思いつつ。


初めの本が単行本として出版された後、文庫となった。さらに、それが、別の出版社から文庫として出ている。新しく形の変わった本になる度、書名が『デジデリオ』になったり、『前世への冒険』になったり定まらないのは、著者が、「前世」の話、ということに胡散臭さや疑いを持つかも知れぬ読者に、何とかして分かってもらいたい、そのためには、何という書名がいいか、と迷う気持ちがあったからではないか。

時はルネサンス。
街にはサロンがあり、あのプラトンアカデミーには、才能豊かな芸術家や文学者、哲学者が集った。男達は結婚を馬鹿にして、男色に耽った。男色華やかなりし時代、若い男は、髪を長く伸ばしカールして、ゆったりしたブラウスを着、足にはぴったりのタイツを履き、化粧した。

デジデリオにも、深く愛し合った男性がいた。その裕福な貴族の庇護を受け、死が二人を隔てる時には、

来世、生まれ変わって、必ず、また、再会しよう、

と固く誓った。
人は生まれ変わる。魂は永遠だ。
その愛人も生まれ変わっている、と、森下は他人の前世が見えるという京都の婦人から聞いてはいた。

そうして、本が出て、時が過ぎ、集英社文庫になった後に「その人が日本に今いてはる」と告げられる。

この部分が、後に文庫として出た本に書き加えられた話である。

調べれば、同業者で、本屋に行くと同じ本棚に著書が並んでいた。その人はJALの機内誌に記事を載せ、また、彼女も別の機会にJALの機内誌に記事を書いた、そんな近さにいて、今まで、顔を合わせることもなく過ごしてきた。
躊躇した挙句、その人に、こんなことを言ったら笑われるかも知れないが、と前置きして、森下は手紙を出し、二人は帝国ホテルで会うことになる。

しかし、会っても、お互い、昔愛し合った人、という感動は蘇ってこなかった。
生まれ変わり、とか、過去世、というのは、自分であるとしても、その記憶は遠い。
約束通り、二人は再会を果たしたのに。


話は飛ぶ。
私の孫が、ようやく言葉が片言ながら話せるようになって、言うには、顔を覗き込んで、ニコニコしながら、

僕たち、やっと会えたね

と言うのである。

ははは、昔、タイタニックの中でお会いしたあなたかしら

と私は茶化した。

また、ある時は、我が夫に向かって、

これは俺の女だ

と2歳児のあどけない瑞々しい可愛らしい唇から、2歳児らしからぬ言葉を吐き、慌てさせた。
私達は勿論大笑いした。
孫は、私の側にいればご機嫌で、離れようとすると激しく泣いた。小学校に入る頃まで、私の存在は、彼にとってもっとも大切な人だった。

今となっては大いに後悔している。
何故、もっとちゃんと聞いておかなかったのだろうか、と。
私達はどこかの時代で、出会い、愛し合い、一緒に暮らしたのだろう。
そして、死に別れる時、来世で必ず会おう、と、約束したに違いない。

今、聞いても「はぁ?」という返事しか返ってこない。

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