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先輩、ちょっといいですか【怪談】

 某メーカーの営業職に就いている三十代の男性、Aさんより、あくまでも真偽不明、大学時代に親友から聞いたものとして伺ったお話。
 
 Aさんは都内の某私立大学に入学してまもなく、グループ課題を通じて同学科に在籍していたB君と親しくなった。東北地方の某県から東京の大学へと進学してきたというB君は、とても穏やかな雰囲気をたたえており、つい先ごろまで世間一般では「少年」と見做される高校生だったという事実がやや受け入れがたいほど、大人びた様相の「青年」あったいう。

 短慮かつ落ち着きのなさを自覚していたAさんは、自身とは正反対に近い性質を持つB君について「知らず知らずのうちに惹かれていたんでしょうね。とにかく忙しさしか目につかない男でしたけど、性的な意味合いはなく男女問わずモテてましたよ」と述懐してみせた。
 
 そう、B君は忙しい男だった。彼はサークルには所属せず、学業に勤しむ以外の時間はほぼアルバイトに費やしている様子だった。そう聞くと大変な苦学生にも思えるが、Aさんは他の連中を出し抜くようにして親しくなったB君の住まい、初めて訪れたその場所に、大層ちぐはぐな印象を抱いたのだという。
 
 苦学生の住まいは学生専門の安アパート、もしくは親に頭を下げての寮暮らしか親族に頭を下げての下宿生活と相場が決まっている。しかしB君が暮らしていたのは、学生のひとり住まいには分不相応な広さと設備を備える、一見して築浅とわかるマンションの一室であった。
 
 ちぐはぐという点においては、B君の身なりや私物についてもAさんは常々同様の思いを抱いていた。ファストファッションや古着の類は身に着けず、スマホや財布、腕時計等の小物類も大学生には過ぎた代物を日常使いしていた。地方出身者ということでなめられてはいけない、という気負いがそうさせている可能性もあるが、人当たりがよく朴訥とした彼の人柄からその手のギラギラを感じ取ったことは一度もなかったという。

 となれば考えうる理由はただひとつ。B君の実家は極太なのだ。しかしいかに極太とはいえ、学費含めた仕送り内で実家暮らしの再現は到底叶わないのだろう。だがお坊ちゃん育ちのB君にはそのことがどうしても我慢できない。となれば足りない分はアルバイトで補填するしかないと日々労働に励んでいるに違いない、そうAさんは思い描いた。
 
 どのような大学時代を送るかは個人の自由である。しかしAさんは豪勢なケータリングを楽しみながらも、B君の一番の親友であるという自負を持って、彼を諭したのだという。Bよ、確かにこの居住空間は快適そのものだし、おまえが日頃何気なく使っているあれやこれやも、羨ましい以外の言葉は出てこない。だが、大学生らしい楽しみを全放棄してまで、これらは維持しなければならないものなのか?

 B君は食事を口に運びつつ、柔和な笑顔でAさんのご高説めいた助言を受け止めている。激務で身体を壊さないか、という心配の意味を含んでの語りかけでもあったため、Aさんは鷹揚ともとれるB君の態度に少し苛立ちを覚えたらしい。
 
 不愉快がしっかりと顔に出ていたのであろうAさんに向ける笑顔の質を、明確に悲しそうなものに切り替えてから、B君はこのようなことを口にした。「学費含め、仕送りは大学生活で一切合切使い切るつもりでいる」「バイトの収入はすべて貯蓄していて、それは大学卒業後に海外へ移住するための資金だ」と。

 驚愕と疑問も、再びしっかりと顔に出ていたのであろう。B君は「信じてもらえなくてもいいし、口外されたところで信じるやつもいないし」と、以下のような話を聞かせてくれたのだという。
 
「俺の地元、生まれ育った場所はさ、○○市からクルマで一時間程度のとこにある村なんだ。そう、きっぱりと村を名乗ってる。東京のこのへんから一時間を想像するなよ? ○○市は全国的に名の通った街だし栄えてはいるけど、どこまで行っても開発されてる東京とはわけが違う。クルマ移動で一時間も費やせば、それなりの田舎に到着するんだ」
 
「田舎ならではの風習ってあるだろ。何月何日には玄関口にこうしたものを飾るとか、お盆の時期には親戚一同集まってナントカって料理を食べないといけないとか。……ウチの村の一部に伝わるそれは、なんていうのか、年間通じて行わないといけない『しきたり』みたいな感じでさ」
 
「Aの実家、神棚ってある? ……そっか。だよな。商売やってるか特別信心深くない限りは……。俺の実家を含む、ウチの村の一部では、独自の神棚が祀られてる。そこに祀られてる『神様』がいるんだ」
 
「『神様』の名前は知らない。ウチで祀ってる『神様』とヨソで祀ってる『神様』が同じものかどうかってことも、村の中一軒一軒訪ねて回ったことなんてないからわからないけど、まあウチと似たような神棚祀ってるところにいるのは、全部同じ『神様』なんじゃないかな。だって、どこの家も『供え物』は、まるっきり同じみたいだから」
 
「おまえの読み通り、ウチは金持ちの部類に入るよ。てか、ウチだけじゃなくて村には金持ちがゴロゴロいる。もちろん兼業農家で忙しくしながら、慎ましく暮らしている人達もいるけどな。……俺、あの村に生まれる以外の選択肢なかったんだとしたら、そこんちの子になりたかった」
 
「お榊、ってわかる? そう、神棚にお供えする緑の葉っぱ。神棚の両脇に白い瓶を立てて、その中に活ける。毎月何日と何日だかに定期的に交換するのが正式な作法。俺、高校は村外の私立高へ通ってたから、○○市で親が商売やってるっていう高校の同級生からそう聞かされた。そいつたまに学校の帰りにお榊買ってこいとか言われてたんだって。クッソだりぃわって愚痴ってた」
 
「その愚痴を聞かされるまでは、一切の疑問を抱いてなかったんだよな」
 
「どこの家もそうしてるもんだと思ってた。神棚にお供えするのは、裏側にびっちりアブラムシのくっついた葉っぱで、それがボロボロに食い荒らされてから別のアブラムシの葉っぱに交換するっての、どこの家でもやってるもんだと思ってた」
 
「実際、ウチの村で金に困ってない家は、どこもやってるんだと思う。俺さっき一軒一軒確認してはいないって言ったけど、ウチの同じような生活水準の友達ん家でも、そうやってアブラムシ供えてる神棚があったから。休みの日に遊びに行ったとき、そこんちの親父がボロボロの葉っぱを取り換えながら、『三日かぁ。まあ金のかかることでもないしな』なんて笑ってたりしたから」
 
「そいつんちの稼業は忘れたけど、まあ村の金持ちで一番多かったのは不動産、地主じゃないのかな。ウチも〇〇市内にいくつかビル持ってる。常に全フロア埋まってて、入れ替わりは激しいんだけど借り手には困ってないから、礼金で更に儲けてるって感じ」
 
「……うん、当然の疑問。そんなに儲かってるなら家族で村を出て〇〇市で暮らした方がよっぽどいいよな。アブラムシなんて街中でもウジャウジャいんだろ? でもな、家族全員、完全に村を捨てて別の場所で暮らすことはできないんだって。高校ん時、ウチと同じような土地持ちのばあちゃんにそれとなく聞いてみたんだ。今までそういう人いなかったの? って。そしたらばあちゃん」
 
「『昔な、『神様』を最初にお祀りした家がな、そこんちの息子のいたずらで『神様』を最初に見つけて金こしらえた家がな、一家そろって街へ出て、一家そろって『潰された』んだ』って」
 
「いくらご利益があるったって人を土地に縛り付けるような真似してさ、アブラムシ潰して食ってる『神様』なんてろくなもんじゃないだろ。ろくなもんじゃない。ろくなもんじゃないよ。甘い蜜ぶらさげて人集めて、また儲かったなんてへらへら笑ってるウチの親父もろくなもんじゃない」
 
「そんな金でいいマンション住んで、大学行かせてもらってる俺だってろくなもんじゃない」
 
「俺はろくでなしだから家は継がない。アブラムシの金は全部この国に置いていく。そんなことしたって潰されるときは潰されるんだろうけど、村と地続きの場所で潰されるよりはマシだから」
 
 にわかには信じがたい話を吐き捨てるように終えたB君に向けて、Aさんはかける言葉を失いつつも、どこか打算的な思いが働いたのだという。山で捕らえた獣を定期的に〆て捧げねばならないというのならともかく、アブラムシ程度でご利益が得られるなら費用対効果としては破格ではないのか? 村から出られないのは不便だとしても、地方都市の利便性を片道一時間程度で享受でき、緑豊かな環境で贅沢な田舎暮らしが約束されるなら、決して悪くない人生なのではないか? と。
 
 再三になるがAさんは顔に出るタイプだ。そんなAさんの表情を汲み取ったのか、B君は仕方がない、といった風に溜息をついてから、苦しげに口を開いたそうだ。
 
「……もの心ついたときから、アブラムシの葉っぱを取って来るのは俺の役目だった。敷地の中であいつらを見つけるのは朝飯前どころの話じゃない。逆に言えば、家の周りにはあいつらが好みそうな種類の植物しか生息してなかったんだ」
 
「そんなあいつらも、潰しても潰してもわいてくるあいつらも、一斉に姿を消す季節がある」
 
「冬だよ。北国は雪も積もるし寒いからさ、アブラムシはタマゴの状態で春を待つんだ」
 
「冬の間は俺の手伝いもなくなって、親父もへらへらするのを止めてすっかり無口になって。神棚のある畳部屋には、親父以外誰も入っちゃいけないって毎年念押しされる」
 
「アブラムシ潰して食えなくなる、寒い寒い冬の間――『神様』は一体、何を食ってるんだよ」
 
 そうした話を聞かされたのちも、AさんはB君と変わることなく、親しく交流を続けた。大学卒業後、というか、卒業式の直後から、B君はAさん含め面識のあった人間との連絡を一切断ち、その後の行方も杳として知れない。 
 
「――俺だけでなく、Bとそれぞれ親しくしてたって連中も、俺の知る限りはですけど、みんな息災でやってます。それが答えな気もするし、答えであってくれるな、って気もしてます」
 
 ま、全部ウソだろうしウソなんですけどね! そう言ってAさんは、くしゃっと笑顔を潰した。
 
 
「……」
「どうでした、先輩。というか何ですかその目は」
「バーキンで私は一体何を読まされたわけ? 何なの? この話は」
「え、だってさっき正門脇の葉桜から毛虫落ちてきたとき、先輩盛り上がってたから。こういう話好きかなと思って」
「悲鳴聞いて『盛り上がってんな』ってフェスじゃねんだよ! だから何なんだって聞いてるのこの不穏な話は!」
「こないだベランダでママが悲鳴上げてて、そこから着想を得ました」
「まさかの自作!?」
「あれ、言ったことなかったでしたっけ。趣味でたまに書いてるんです、創作怪談」
「……文芸研と兼部とかしてんの? あんた」
「個人的な趣味ですってば。怪談以外も強制的に書かされそうじゃないですか、文芸研って」
「少なくとも心配はされるだろうね。怪談しか書かないウーマンは」
「だったらこうして、好きな人に読んでいただいてた方が」
「私言ったことあったかなー怪談好きだって! 勘違いさせちゃってたんならごめんねー!」
「自画自賛になりますけど、供物と恩恵の釣り合ってなさを最後に取り立ててくるところがよくないですか? アブラムシ程度なら気軽に始められますもんね」
「同意を疑わない聞き方やめて。てかその手軽さこそ悪意のあらわれじゃん」
「おっ、先輩ナイス考察です! もう夢中じゃないですか私の創作怪談に」
「あんたの大学生活楽しそうでいいね」
「これ書くにあたりアブラムシについて調べたんですけど、どうします? 考察捗りますよ」
「……聞くだけ聞いとく」
「えーと、いつの間にか観葉植物にびっしり集ってママに悲鳴を上げさせることでお馴染みのアブラムシ、こいつは尻から糖質を含んだ排泄物、キレイに言えば甘い蜜、甘露を出すらしいんです。で、それを目当てにやってきたアリと共生関係を結ぶことがあるらしいんですな」
「口調どうした。てかアブラムシごと食べたりはしないんだ、アリ」
「たぶんですけど、肉食の種類は蜜に誘われないんだと思います。そしてその甘露とやらを吸ったアリは、蜜に含まれる何らかの物質で攻撃性が高まって、アブラムシを外敵、天敵から守ろうとするとのことです」
「ふぅん……んんん? ということは、あれ? あり?」
「今のは聞かなかったことにするんで、もう少しだけ解説させてください。ガンギマリのアリとはいえですね、その守りは堅牢ではないわけですよ。アリの隙間をかいくぐってアブラムシを食う強者もいます」
「へぇ……」
「その代表格がクサカゲロウの幼虫。そしてこのクサカゲロウの成虫は見栄えも良く、なおかつ害虫であるアブラムシを駆除してくれるという働きもあってか、古くから仏教の教えにも関わってくるほどの神聖な存在として目されてたみたいなんです」
「……あー! うん、うん! なるほど!」
「私からは以上です」
「えええっ!?」
「これ以上は野暮でしょう、先輩」
「……くっ……」
「ご精読及びご清聴ありがとうございました」
「……ポテト冷めちゃったじゃん」
「そういえばセミって炙ると焼き栗の味がするらしいですよ」
「黙れ!」
「先輩も甘い尻にはくれぐれもご用心を」
「言い方!!」

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