イライラしたときに思い出してほしいこと。

お疲れさまです。
6月ももう終わりですね。
2023年も下半期を迎えようとしています。

ところで、仕事、がんばりすぎていませんか?
イライラしたりしていませんか?

私は田舎の小さな事務所でゆるゆると事務員をやっています。
定時出社・定時退社で盆と正月は連休、少人数の小さな職場。
そんな環境にいてもイライラしてしまうことが多々あります。
先程もイラっとして上司に大人げない態度を取ってしまいました。

というのも、きっと私ががんばりすぎているからなんだと思います。

私は外からの評価はどうであれ、自分を「無能」だと思い込んでいます。
うっかりミスが多いし、頭の回転が遅くて細かいことに気がまわらないこともある。コミュニケーション能力もない。

そしてそれを払拭したくて仕事をがんばろうとします。
失敗しないように先回りしてあれこれ仕事するし、何でもきっちり準備するし、失敗したら猛反省する。
無能と言われないようにがんばります。

なのに、がんばっていても怒られることもあります。

自己否定を糧にがんばっているのに、それが評価されなかったりバカにされたりしたらすごく腹立つんですよね。

「私こんなにがんばってるのに!!!!!」
って。

ここでは一見、評価しなかったりバカにする上司が悪いと思いますが、
実はこれはただの引き金であって、
私が怒る本当の原因は自分の思考・考え方にあるのです。

今回はその思考やそれの対策を考えていきたいと思います。

怒らないようにしたい

怒るのって疲れます。
それに怒った後は嫌な気分にもなります。
できればもう怒らないようにしたいです。

そのためにはどうすればいいでしょうか?

無能だと思わない

自分は頭の回転と要領が悪いので仕事ができないと思っているけど、それを無能だと結びつけるのをやめてみようと思いました。

「無能」って簡単にレッテル貼りができる言葉で、
それを自分に張り付けることで自分は無能なんだと信じています。
一旦、このレッテルをはがしてみようかと思います。

仕事でミスしてもイコール無能ではない。
遅刻してもイコール無能ではない。

誰がどう見ても「いやいやそれは無能でしょ」と思うことでも、
自分は徹底して「無能」に結び付けないことにします。


がんばらない

私は無能ではなくなったんだから、それを穴埋めするための努力をやめてみようかと思います。
自分が不快にならないようなペースで仕事してみます。

私はマイペースに仕事を進めてもいいんだと決めるのです。

それに、がんばらないと怒られても
「ま、がんばってないからしょうがないよね」
と諦められますよね。
がんばってるのに怒られたときの方が辛いですから。

自分を大切にする

怒るのは体に悪いと思います。
心臓はドキドキするし、手は震えるし。
きっとすごく体に負担がかかっています。

だから、これから怒りそうになったときに自分に聞いてみます。

「あなたは、こんな人間のために
自分の体に負担をかけるようなことしていいの?」
と。

そしたら冷静になって
「こんな人間のために自分の健康を損なう必要はない。
怒るぐらいなら流そう」

と思えたりしないでしょうか。

このような考えを身につけるために、とにもかくにも
「自分を大事にする」ことを第一にして生きてみようと思います。

祝福されて生きている

何の本か忘れたのですが、西加奈子さんの作品の中で
「祝福されて生きている」との描写がありました。
漁港の肉子ちゃんだったかな。
(西加奈子さんの作品には「祝福」の描写が多い気がします。)



この間、ふと私は実母とのお別れのシーンを想像しました。
年老いた母が病床で最後の言葉を告げます。

「色々あったけど、あなたを生んで、あなたに出会えてよかった。」

きっと母はそういったことを言い、私は

「私も色々言ってしまったけど、あなたの子どもでよかった。」

と言うと思います。


私は、今までこの思考になった原因を母のせいだとし、
あるときから母を恨む気持ちが大きくなっていました。
そして、その言葉を直接母へ向けたこともあります。

しかし、別れのシーンを想像すると、今までの恨みつらみなんて出てきませんでした。

母は絶対私のことを宝物だと思ってくれているし、
絶対私を生んでよかったと最後まで思うだろう。

そして私もそんな母が生きてくれていてよかった、と心から思うはずです。

そう考えたら、私たちは「祝福されて生きてる」んだなぁと感じました。
途中で色々ぶつかったり、傷つけあったりすることがあろうとも。

生まれたときと死ぬとき、私たちはお互いの命を「祝福」しあう。
スタートとゴールには必ず「祝福」があるんです。

走っている途中では、それが見えなくなるかもしれません。
でもきっと、絶対、生まれてから生きてる今この時、そして死ぬまで祝福の中にいるんです。

そう考えたら。
祝福されて生きているのなら、
「自分を大事にしてみよう」と思えるようになりました。

テキトーな、どうでもいい人生じゃない。意味がないわけじゃない。
祝福されて生きてるのだから、この人生・命を大切にしよう、と思えてきました。

まとめ:怒るのは人生のムダ

最初の「怒りたくない」から少し脱線してしまった気がしますが。

せっかく祝福の渦中にいるのに、怒って生きるなんてもったいないことをしていました。

結婚式で祝福されている自分を想像したら、怒っていませんよね。
お祝いされているのに怒っていたら結婚式が台無しです。

そんな風に、自分の人生を台無しにするのはやめます。
怒るのは人生においてムダな行為だったのです。

これを書きながら、このことに気づかせてくれた上司に感謝の気持が湧いてきました。

上司、サンキュ。
冷たい態度してゴメンね。

とはいえ、自分の決めたことをすぐに忘れてしまう私なので、この決意もそのうち忘れてしまうかもしれません。

そのときはこのnoteや「祝福」を思い出して、
怒りに踊らされない人生にしたいと思いました・。

仕事ができるできないなんて、
祝福されている中にいたらどうでもいいことです。

祝福された人生の中で、幸せな気分でマイペースに生きていきたいと思った2023年上半期の最終日でした。


ここまでお読みいただきありがとうございました。

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