1年かけて依存系メンヘラを卒業できそうな話②

前回の話を書いてからもう半年以上月日が経ちました。
タイトルに「1年かけて~卒業できそう」って書いてるけど数か月経った今もまだ完全に卒業できそうな気配はなくて、ずいぶん誇大広告になってしまっているなぁと反省しながら②を書こうとしている次第です。

そんな日々七転八倒・試行錯誤を繰り返しながら生きている女の話の続きをします。

前回の記事は下のリンクからよければどうぞ。

さて、①では私がメンヘラである所以に気づき変わっていこうとする場面で終わりました。

メンヘラ思考に気づいた私は、ここから私の思考の旅、いや思考との戦い?が始まります。

「自分を幸せにする」とは?

前回①の最後で泣き叫びながら気づいた
「自分を幸せにできるのは自分しかいない」ということ。

今まで他人に機嫌をとってもらうことしかできなかった34歳児、
その言葉が急に腑に落ちたからといっていざすぐに自分を幸せにすることを実践できるわけではありません。

いつも誰かに頼って、自分を楽しませることもご機嫌を取ることも放棄してきた私には、自分の幸せが何か分からないのです。

なのでとりあえず手始めに、自分がどんなことで楽しい・嬉しいと感じるかを考えてみることにしました。

まずは食。美味しいものを食べたとき。
それから旅行とかお出かけ。綺麗な海や景色を見たとき。
あとは漫画とのんびり。漫画読んでゴロゴロしてるとき。

これらの自分が過去に「快」を感じてきた行為を思い出したので、次はそれを自分に施してあげることにしました。

外食で美味しいものを食べよう。
海に行ってあげよう。
漫画読んでゴロゴロ過ごそう。

どう?これ美味しいでしょ。
海きれいでしょ。
ゴロゴロしながら読む漫画おもしろいよね。

ね?幸せ?これで幸せ?もうこれでいいよね???



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チガーーーウヾ(*`ω´*) ムカーッ

ワタシ今別ニコレ食ベタクナイヨ。
寒イカラ海行キタクナカッタヨ。
ゴロゴロスルヨリ体動カシタイヨ。

えっ、そうなの??汗
美味しいもの食べたら、海見たら幸せになれるんじゃないの?運動、めんどくない??

違ウヨ、私ノ声聴イテヨ・・・

私の声?

ソウダヨ、私ノ、心ノ声・・・(´・ω・`).;:…(´・ω...:.;::..(´・;::: .:.;: サラサラ..


なんか寸劇が始まって消えましたが、、
一口に「幸せ」と言っても絶対の正解はないらしい、
ということに私は気づき始めました。

その時々の、本当に自分がしたいことを叶えていくのが
「自分で自分を幸せにする」ってことみたいで、
それは一律に「コレ」と言えないようです。

私は楽したがりなので「私の幸せはハイ、コレね!終わり!」で解決したかったけど、心は繊細で複雑なようで、日によってしたいことや食べたいこともバラバラだし、昨日まで好きだったものも今日は興味なくなってるし。

まるで赤ちゃんとか2歳児とか猫のよう。

そんな自分のその時々の願いを、心の声をしっかり聴いて満たしてあげるのが「自分で自分を幸せにする」ってことなんだと気づきました。
ここではカタコトでしゃべってたのが「心の声」ですね。

その答えは「自愛」

自分の心の声を聴くこと。
そのとき何を求めているのかを傾聴してあげること。
そしてそれを実践してあげること。

それはいわゆる「自愛」ということらしいのです。

じゃあこれから心の声を聴いて、それに沿った行動をしてあげればいいのね、簡単じゃん。というわけにはいきません。

心がAだと言っても、世間的にはBが正しいとされる。だからBを選ぶ。

そうやって決めてきたこと、たくさんありませんか?

私の例でいうと、
「(元)彼とは心ではもう別れたい。
でも別れると寂しいから付き合い続ける。」
みたいな。

それじゃこのBやら、
寂しいから別れないというやらの存在は何なのか?


これが、かの有名?な「エゴ」という存在です。


実は私、北海道で出会った心の師匠がいるんですが、
その方にも 「君はエゴにまみれてるね」と言われ続けておりました。

当時はあんまり意味も分からず、
そうなんだ~・・・そうか??
と思って聞いていましたが、今となってはよくわかります。


私はエゴにまみれていると!!!!!


そして、自愛をして自分を幸せにしようにも、 このエゴが主張することによって自愛の達成を阻んでしまうのです。

やっと心の声に耳を傾け始められた自分の最大の敵?はエゴでした。

自愛を阻む「エゴ」とは?

「エゴイスト」ってよく聞きますよね。
いわゆる「自己中心的な人」ってことだと思います。

まぁ私もたしかに自己中心的な人間なのでエゴイストですが、
ここで言うエゴとは

不安に支配されている人

という定義がしっくりくるかと思います。

何を隠そう、私の半分は「不安」で出来ています。
バファリンみたいに優しさだったらよかったのにな・・・(遠い目

その私の半分を占める不安(エゴ)が私に何をしてきたかっていう話なんですが。
私が抱えていた不安は下記のとおりです。

  • お金を遣ったらなくなる

  • 私は弱い。私は醜い。私は汚い。

  • 人を待たせたら怒られる。

  • 調子に乗ると怒られる。

  • 30過ぎたらオバサン。BBAには価値がない。

  • 結婚してないと社会不適合者。

  • 男から愛されていないとみじめだ。

  • 人は私を攻撃してくる。

  • 食べると太る。太った私は醜い。

  • 私は体が弱い。

  • 私は仕事ができない。

少し挙げただけでも吐きそうになるネガティブさ(꒪ཀ꒪)
私はあまりに露骨かもしれませんが、みんな大なり小なりこんな感じの不安を抱えて生きていると思います。

これらの不安や思念を抱えて生きていたらどうなると思いますか?

  • お金を遣ったらなくなるから遣うのが怖い。
    お金を失うのが恐怖で節約する。節約しんどい。苦しい。

  • 私は弱いから人に頼らないと生きていけない。

  • 私は汚いから堂々と生きていてはいけない。

  • 人を待たせたら怒られるから人前では常に焦って行動してないといけない。

  • 調子に乗ると怒られるから自虐して生きなきゃいけない。

  • 30過ぎてBBAだから生きる価値ない。

  • 独身だから恥ずかしい。

  • 彼氏がいなくてみじめだ。

  • 道行く人が私を馬鹿にしてくる。

  • 何を食べても太るし太った私には価値がないから一生ダイエットしなきゃ。

  • 私は体が弱いからすぐ疲れるし肌が荒れてしまう。

  • 私は仕事ができないから人一倍がんばらなきゃ。

ネ、ネガティブ・・・
すぐに思いつくことを挙げてみただけですが、もう読んでてしんどい。

こんなのまだまだ一部です。
もっと蛇口を捻ったらたくさんダークな観念が出てきます。

最初に列挙した「不安」たちは、
後者の「観念」になって「行動」の元になります。

だから仕事も人一倍がんばるし、過度なダイエットもするし、彼氏作ろうとがんばるし、誰かに何かに依存しようと苦しむ。

前回の話①で出てきたエピソードの元は、この「不安=エゴ」が原因だったのです。

どうして「エゴ」に支配されるの?

そしたら、なんでこんなネガティブな不安が満載になるのかという話です。

それは、自分を取り巻く周囲の環境、とりわけ「母親との関係」が大きく影響しているみたいです。
母親はなんたって生まれる前から一番身近にいる人間ですもんね。
この関係の良し悪しは、その人の人格形成に大きく関わってくるらしいです。

・・・この話の先には結局幼少期の私と母の関係を書くことになりますが、
それを書き起こすにはまぁまぁの労力が必要そうなので、今回はここで終わりにします。

今回は、自愛の大切さに気づいたメンヘラがエゴの存在に気づいたところまでを書きました。

思考の旅はまだまだ始まったばかり。

ここからどんどん深~い深層心理の世界に入っていくとかいかないとか・・・。

次回、エゴに向き合う私編です。よかったらまた覗きに来てください!

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