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モラハラ夫となぜ23年も結婚していたか

内と外が別人だったモトオ 

モラハラする夫、父と聞いて、人はどんな人を思い浮かべるのでしょう。

モラハラという虐待行為をしていたモトオは、どこから見ても優しく、腰の低い、感じのいい人でした。外ではいつも歯にかんだような笑顔を見せているのがモトオでした。

私は結婚して初めて別の顔を少しづつ知ることになったのですが、まさか仕事ができるモトオの脳に問題があって長い間自分を偽装して生きていたなんて、分かるはずがありませんでした。

知り合って18年経ってから、自閉スペクトラム症(ASD)と分かったモトオには、夫婦は支え合うものとか、家族はお互い愛情を持って接するものなどという人並みな考えが頭に無いことが分かりました。そして、彼には、いくら説明しても理解出来ないことがあるということが、診断後も長い間分からなかったのが、そもそもの悲劇でした。

知らないと大変

夫婦や家族というのはある意味、閉ざされた共同体です。そこで家族から酷いことを言われたり、されたりしても、それが精神的虐待とはすぐに気づけないものです。

発達障害自体、知らなかったので、モトオの奇行ぶりも男女の考え方の違いなどと考え、我慢していくうち、私は心身の健康を損ねていきました。

結婚した途端に免疫力が極端に低下し、しょっちゅう風邪を引くようになりました。頭痛や腹痛、めまいに動悸、震えに不眠と不調のオンパレード。しかも症状はエスカレートしていきました。私にばかり負担が増えていったからです。有りとあらゆる臓器が全力でもう我慢できないと訴えていても、その原因が分かりませんでした。

彼の言動は理解出来ないものばかりでしたが、私には守らなければいけない犬と子供がいたので、それでも明るく振る舞い、自分を誤魔化していました。人は完璧ではないし、良いところ悪いところひっくるめて受け止めていくのが結婚だと思っていたからです。けれど、我慢ばかりするということは、自分を封じ込めていくことでした。


モトオが仮面をつける理由 

外面は誰にだってありますが、自閉スペクトラム症の人の外面は別物です。
彼らが外で仮面をつけることを英語圏ではマスキングと呼び、一般の人の外面とは分けて考えられています。

マスキングは、マスクを被るという意味ですが、日本語だとカモフラージュと言った方が分かり易いかもしれません。幼い頃から周りの皆と違うので自覚がないまま本当の自分を隠すようになってしまうのです。発達障害だと気づかれなければ、自分とは全く違う極端な外面を作ってしまう人も珍しくないようです。

なので、マスキング自体は、スペクトラムの人特有の傾向で、決して悪い事ではないと、敢えてここでは言っておきます。

ありのままだととにかく社会に受け入れてもらえないので、人とうまくつきあう為にマスキングするというわけです。スペクトラムは治るものではありませんし、自分を正しく理解していれば、上手く使える手段であることは確かです。

けれども、モトオのように現実と余りにもかけ離れた人格を演じることは自分を否定する行為なのでストレスになり、周りも振り回されることになるのです。

オレ様モトオ

「オレは、仕事で疲れてるんだ」が、口癖の傍若無人なオレ様がモトオでした。

「オレは家族のために稼いでいる」と外で仕事さえしていれば、自分は責任を果たしていると本気で言っていました。

彼の傍若無人さは、実は結婚前から彼の実家でも続いていたようで、彼は小さい頃からそうして過ごしていた事を離婚後に義母から聞きました。

結婚前、彼は自分の両親が男尊女卑な古いタイプだと言って嫌っていたので、その実家の様子を目にしてもさほど驚きませんでした。そして、彼は「自分は違うから」と誓っていたので、私はすっかり騙されたのです。実はそこにも発達障害ならではの誤解がいろいろ潜んでいたのですが、当時の私に分かるはずがありませんでした。

家でのオレ様は、自己中で家族に興味がなく、自分から話しかけてくることは、ほとんどなかったのですが、外では優しくなるので気づくまでに時間がかかりました。たまに家でも機嫌が良いと自分から話しかけてきましたが、これがDVのパターンでした。ムスメと私は彼のちょっとでも感じがいいと、まるでお祭りでもきたかのように嬉しくなり大いに喜んだのでした。いつも機嫌の悪い人が優しくなると家族は喜び、そこに居続けるというDVパターンにどっぷりハマっていたのでした。

たかが不機嫌と侮ることなかれ

不機嫌パワーは最強です。人は不機嫌にすることで人をコントロールすることができるのです。

特に家族の場合、誰かが不機嫌だと皆それに影響されてしまいます。どうしたのかと心配したり、気を遣ったりして優しくするのが、家族というものですから。

加えて、恋愛感情があると更に問題は見え難くなります。不機嫌であっても仕事で疲れているのかもしれないと気を遣い、思いやりから顔色を伺うのです。

けれど、家族を思いやることや尊重することを知らないモトオには、そう言った考えや気遣いは全く無意味でした。感謝という気持ちもありませんでした。

それどころか発達障害でよくある「誤学習」というものになっていきました。「誤学習」とは、不機嫌になることで、自分の思い通りになることを学習していたことですが、発達障害を知らない限り、大人になってこんな馬鹿げた論理がまかり通っているとは誰も思わないでしょう。

特性の問題が次々と現れ、日常が壊れていった

とにかく人の意図していることが伝わらないので、言葉が通じない感じでした。

会話の意味が分からなくなったり、ちょっとでも強い口調で話すと、フリーズするので、本当は人間じゃないんじゃないかと疑ったことも何度もありました。

彼は大学を卒業し大手企業で働いているという事実と私と日常会話ができないことや家でのポンコツぶりは、常に葛藤となりました。つじつまが合わな過ぎて、もしかしたら私が何かいけないのかもと自分に非を探しました。

コミュニケーションが取れない。感謝しない。自分の非を一切認めない。全て人のせいにする。迷惑行為や間違いを指摘されると逆ギレ。どれもこれも人間形成の過程で、小さい頃に学んできているはずのことでした。

実際、発達障害の特性で、自分では周りの状況から学ぶ事が出来ない為、なんでも一から細かく教えてもらわないと分からないという事があります。

では、つきあっていた頃に、なんの問題もないように思えたのはなぜでしょう。
結婚した途端に人が変わったのはなぜでしょう。長い間、二重人格や若年性認知症などを疑って調べましたが、どれもしっくりきませんでした。

彼の激しい白黒思考。悪いのはいつも私やムスメで、自分が精神的虐待を受けていたという捻じ曲がった思考。

家族を捨てたのは彼でしたが、正気を失う前に別れられて良かったと心から思っています。



私の置かれていた状況も、彼にとっては好都合だったと後で気づきました。私がアメリカにいる間、彼はラブコールを送り続け、4年という長い月日をかけ結婚を勝ち取りました。長距離恋愛はある意味彼には都合がよかったようです。これだけ離れていれば、取り繕うことは十分可能でした。

一緒に暮らし出してすぐ異変に気づいた時には、時既に遅し。私は身動きが取れない人になっていました。

コミュニケーションの問題も帰国したての私の拙い日本語のせいにすることが出来たので彼には好都合でした。ずっと使っていなかった日本語がすぐに出ないのは当然でしたが、彼は「そんなことも分かんないんだ?」とよく得意になって言っていました。

私は初め自分の日本語の忘れ具合を一緒に笑っていましたが、彼が本気で私をバカだと思って言っていると気づいた時は言葉を失いました。こういった小さなことから少しづつ私の自尊心は蝕まれていったのでした。


モラハラ、調停、離婚

私はそれでも23年返されることのない愛情を注いでいたのです。

彼と一緒に暮らしたことで、原因不明の体調不良を起こすようになり、救急車で運ばれたのも一度ではありませんでした。

彼が発達障害と分かった後も、子供の為にやり直そうと話し合い、4年間努力しましたが、それも無駄でした。留学までして求めた仕事も諦めたくなかったので、家事育児を一人でやりながら仕事もがんばりました。けれど、彼に認められることはありませんでした。

モトオが自分の特性に気づいて変わってくれることを望みましたが、当の本人が自分の障害に強い偏見を持っていたので、すべては無駄だったのです。

自分を棚に上げ、自分勝手に家を出ていき、離婚調停を起こしてきましたが、私から精神的虐待を受けたと診断書まで付けてきたのには、呆れました。

認知の歪みもここまで来るとどうしようもないのです。私は出来ることはやったので、悔いは全くありません。滅多に経験することのない調停により、日本がどんなに男尊女卑な国でいまだに男性優位な仕組みになっているかもよく分かりました。なので、調停では悔しい思いはしましたが、彼がどういう人間かはっきり知ることができたのだから良かったと思うようにしています。


日本で、モラハラ夫は珍しくない 

家庭内暴力のモラハラは、不機嫌や無視、暴言といった立証できない精神的な暴力行為のことです。ですが、弁護士によると裁判を起こしてもモラハラで慰謝料は取れないと言います。どの弁護士もモラハラはやるだけ無駄と口を揃えて言いました。日本の刑法は家庭内暴力をする側(その多くは男性)を優遇するように出来ているからです。

日本は、表向きは男女平等を掲げていますが、男性優位社会で家庭内の仕事を未だに女性に任せきりにしています。所詮、男性政治なので仕方ないのでしょう。

家庭を持っても、夫は外で働いていれば良しとする日本の方針と「オレは稼いでるんだぞ!」と家で傍若無人に振る舞うモトオの言動は一致します。なので、モトオが日本社会を投影していると言っても過言ではないのかもしれません。日本には昔から変わらぬ、モラハラ思想が一定の男達に根付いているということです。

モラハラを受けて、離婚調停、離婚裁判を考えている方は、残念ですがそこは変わらないことを念頭に置いて挑まなければいけません。

ずっとうちの不条理を公にしたいと思ってきましたが、恨みが強過ぎて客観的になれませんでした。同じような被害を受けている人は、渦中であればあるほど声を上げられないのではと容易に想像がつきます。カサンドラ症候群の本はありますが、モラハラ被害を受けた内容はほとんどないので、ここで書きたいと思っています。

家族に笑顔を向けられない人は、家族のことなど考えていません。理由がどうであれ、そういう人は変わりませんから諦めるのが肝心。人は皆、自分の人生を楽しむ権利があり、その権利を奪うような人は家族であっても許してはいけません。そういう人だと気づいた時は、一刻も早く離れることをお勧めします。


ムスメ、モラハラ父に久しぶりに会う

離婚後、ムスメが久しぶりに父モトオと会いました。

一緒に住んでいる時は気まぐれだったムスメへの誕生日プレゼントを贈りたいとランチに誘ってきたのです。会うのは1年半ぶりくらいだったと思います。行くのを嫌がっていたムスメでしたが、帰ってきた彼女は嬉しそうでした。

「どうだった?」と聞くと「ずっと笑顔で優しくて、見たことがないパパだった。あんな顔するんだね。初めて見た」と言うので、胸が痛みました。

「まるで仲の良い家族みたいに話しているのが嘘みたいで、いままで何だったんだろうって、話している途中で、腹が立ってきた」とも言ってきて、気持ちがよく分かりました。

恐らくというか間違いなく、モトオは自分のしたことを何も覚えていないのでしょう。解釈も歪んでいるので、自分を被害者だと思い込んでいるのです。

モトオが突然家を出ていったのは、娘が中三で、高校受験直前でした。ずっと登校渋りで中学の相談室になんとか通えるようになっていたムスメの大事な時でした。

モトオは行き渋りのムスメにずっと見下した発言しかせず、関わることもありませんでした。家を出る時に、ムスメに「じゃあね」と軽々しく言ったモトオには、私やムスメの気持ちなど一生分かることはないのだと思います。

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