見出し画像

母の日ってなに?

17歳のムスメが、母の日を知らなかったことを私は知りませんでした。

それまで母の日にプレゼントや手紙を貰っていたので、いつものことながら、知らないということが、どういうことなのか理解に苦しんだのでした。


何気ない会話で気づく

ムスメは私がしょっちゅう独り言を言っていると言いますが、私が何気ない会話を振っても、拾ってくれないので独り言になってしまうというわけです。昨年のこの日も何気なく話しかけたら、とんでもないことが分かったのでした。

もうすぐ母の日という頃、離れたところに住む私の母に何を贈ろうかと考えていることを話すと、変な反応が返ってきたのです。

ムスメ: 「母の日?」

私: 「そう、もうすぐ母の日でしょ。 やっと落ち着いてきた(離婚騒動でそれどころではなかった)から、久しぶりに何か送りたいと思うんだけど、何がいいかなあと思って。」

ムスメ: 「なにそれ?」

私: 「何って?! 母の日のプレゼントよ。」

ムスメ: 「母の日ってなに? そんなのないでしょ?!」

私: 「え、えっ?! あるでしょ。 忘れてるんじゃない?(ムスメは分かっているけど、ただ単に記憶に定着していないというようなこともあるので) 毎年5月の第二日曜日は母の日だよ。 カレンダーにもあるけど… ああ、書いてないカレンダーもあるけど。 え、ほんとに知らないの?」

ムスメ: 「うん、そんなの知らない」

私:「ええっ!? ちょっと待って! 知らないって、どういうこと? だって、私、あなたから手作りのカーネーションや手紙、過去に貰ってるんですけど?」

ムスメ: 「あー、そうだったんだ。 知らなかった。 だって、それ作らされただけだから。 母の日なんてあるんだ。 知らなかった。」

私: ( 嘘でしょー!? )


作らされたものでも、嬉しいのは確かだけど

そうだったのです。学校やワークショップで作らされる母の日のプレゼントは確かに大人に作らされるものですが、定型だとそこから母の日というものがあることを知ったり、その日はお母さんに感謝することに気づいたりできるのですが、ムスメにはまったく入っていなかったということでした。

因みに私は自分でいうのもなんですが、小さい頃から「家の手伝いをよくする、気の利く良い子」でした。(今思うと、この性格が結婚では仇になったと思っているので、良い子過ぎるのも問題だと思っています。)母の日には自分でプレゼントを作ったり、用意したりして、母の喜ぶ顔を楽しみにするという、ムスメとは真逆の子供でした。

ムスメから貰った手作りのカーネーションは、ムスメが小学校低学年くらいでした。その頃、幼稚園の教会の日曜学校に通っていて、帰るとすぐ仕事をする私のところへきて、嬉しそうにストローと折り紙で作ったカーネーションをくれました。私が喜ぶとムスメも嬉しそうにするので、それを見て私はまた嬉しくなるという母の日の嬉しい連鎖を今も覚えています。こういうことをさせてくれる日曜学校に感謝したものです。

今でも証拠品のように筆立てに立ててあるそのカーネーションを出して「ほら、これ!」と言うと「ああ、それねー、作らされただけだから意味なんて知らなかったよ。」とあっさり言われてしまいました。まあこういう人もいるんですね。

一昨年、貰った手紙は私立の中学を辞め、1ヶ月しか行かなかった特別支援学校で、母の日に向けて授業で書かされた手紙でしたが(発達障害の人の中には、感謝するということが分からない人が結構いるのでこういうことをしっかり学校で教えてくれるのです)、その頃のムスメの気持ちと感謝の気持ちが綴られてた手紙に涙したものでした。けれど、実際その時もムスメは母の日を知らなかった訳で、ただ感謝の手紙を書きなさいと先生に言われたので書いたようでした。

私は手紙を貰えるとは思ってもいなかったので、とても喜んだのですが、まあこれがムスメなのでしょうね。うちでは、普通こうだよねという共通理解がないので、大体において、こうだと思っていたことが、実は違っていたということがしょっちゅう起きるので、その度に驚かされるのでした。


解決策は、経験すること、気づくこと

ムスメのような人には、何かやらせる前に丁寧な説明が必要だったのかもしれません。みんなが知ってるだろうことは、普通わざわざ言わないので知らないまま大人になってしまうのです。

或いは説明されていたかもしれないけど、その時は言われたことが右から左に抜けて理解できなかったのかもしれません。興味がないことには驚くほど関心を示さないので、言われても入らないことは考えられます。

という具合にムスメの場合いろいろな要素が考えられるので、いつもこれといった解決策はなく、本人の心が成長して気づくくらいしかないのだと思います。

うちのムスメが母の日の存在とその日に感謝することを知ったのは高校3年の春で、そこが彼女のタイミングだったというわけです。

ついでに言うと、カーネーションが母の日の花であることや6月には父の日もあることも知りませんでした。本当に何も知らなくて、一体どこにいたんだと思いますが、大体こんな感じなのです。確かに遅いのですが、これが彼女のタイミング、と思えるようになった自分も成長したと思えるのでした。

とはいえ、「こんなことも知らなかったの!?」と言われることに、ムスメはとても敏感なので、そういうことが話題に上ると途端に威張ったり、怒ったりしてくるので、実は要注意なのですが、この時は素直にいろいろ話してくれました。それは、恐らく私が静かにムスメの話を優しく聞くことができるようになったからだと思います。
なので、社会にも理解が広がり、優しく受け入れてくれる人が増えてくれることを願っています。

同時に、発達障害の人は、気づかずやってはいけないことをしてしまうことに気をつけねばいけないと思います。仕方ない事なので、注意されたら注意してくれた人に感謝し、言われたことを直すよう努力しなければいけないということです。

思いやりや優しさについては、言語にしないことが多い分、教えるのも気づくのも簡単ではありません。ムスメは今も意味を取り違えることが多いので、お互い落ち着いて話し合う努力は欠かせませんが、どちらが正しいというものでもありませんから、囚われ過ぎないようにする事も大事だと思います。

なんにせよ、ブラックとも言える休みのない母親業を毎日こなす母親たちにとって、母の日は特別な日であることに変わりはなく、どんなプレゼントも感謝の気持ちが込めてあれば嬉しいのでした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?