相棒がずっと続きますように


#それぞれの10年


震災があったとき、自分が家に帰ってき、「はぐれ刑事純情派の再放送を見よう」と思いテレビをつけると、津波の映像が流れていた。いつもと違うことはなんとなくわかった。ただ同じ国で起こっていることだとは思わなかった。はぐれ刑事純情派が見れないことがつまらなくて仕方なかった。

自動車学校の先生に「3.11の時何してましたか」と聞いたら、「友人と一緒にウイイレをしてましたね」と言われた。わたしがはぐれ刑事純情派を見れないことに退屈しているとき、先生は友人とゲームをしていて、東北の方では地震に津波に見舞われていたというのか。そんな私も、当時はぐれ刑事純情派を見れなくて退屈していた私も、ついに自動車の免許をとる年になったのだ。

十年間の間に、災害は起こり続けた。かといって防災に対する気持ちが高まったとは思わない。災害への非日常感が楽しくて仕方ないと不謹慎だと自覚しながら思う。毎年のようにわたしたちを襲う豪雨は、もうお友達である。はぐれ刑事純情派の再放送はなくなって、藤田まことも死んだ。おみやさんとタクシードライバーの推理日誌と9係が好きだったが、渡瀬恒彦は死んだ。伊東四朗が死なないか、とても心配だ。

十年は長い、いろんな人が死んで、いろんな人が生まれる。命が消えるところを目の当たりにしたことはないが、そんな非日常に対して、わくわくするのは事実だ。これは悪いことなのだろうか。わからない。自然の前で無力である自分は自然に生かされているというのに、自然に殺されることに対してなぜ抗おうとするのだろう。

人が死ぬことは自然だが、人が唐突に死ぬことは不自然だ。

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