ライブが中止になっても

ライブが中止になってもわたしのなかからラルクの音楽は奪えない。彼らの音楽がわたしのひかりであることまで干渉されることはない。
機会を奪われても記憶や音源、フィジカルは残る。生きてさえいれば、そしてお金さえあれば、また会える。

ねえ、知ってる?そんなきれいごとで物事を処理できないから、わたしは音楽を聴くんじゃないか。

音楽を聴いて、ライブに行って、イントロに震えて、照明や映像に取り憑かれ、特効に驚かされ、衣装やヘアメイクに魅せられ、彼らの演奏に感動して、一緒にうたうことを許されて。
いつもの生活で物分かりの良い立ち回りをこなす一方、分別のつけられないもやもやを、パフォーマンスに圧倒されること、こころを解放することによって、明日からの生きる糧として位置付けてきたのだ。

奪われたとて泣き言は言いたくない。いままでどれだけのことを経験してどれだけのことを乗り越えてきたか。そしてすこしは強さ、或いは鈍感さを手に入れてきたのだ。たくさん泣いたり、たくさん怒ったり、たくさんやけ酒したり、やりたいときはやってきたけれど、結局それがわたしの何になる?

あらためて言葉にするけれど、わたしはラルクが好きだ。音楽が好きだ。イベントが好きだ。劇場が好きだ。エンタメ業界が好きだ。本、映画、美術、演劇、あらゆる文化芸術を愛している。
その愛すべき分野の真っ只中にいる当事者たちを苦しめる強制的なわがままを、ただのポーズを、想像力のない発言を、わたしは絶対に許さない。

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