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求めたくなる方法論より原因を探る「何故?」

方法論よりどうしてそうなったのか?

おはようございます、今朝は症例の方はお休みにして思う事があるので独り言を書きます、と言うのも先日とある講習会終わりの質疑応答で講師のお方の答えです。


質問の形式も「どうしたらこの問題は解決できますか?」と言う聞き方だから仕方ないのかも知れません、しかしながら「何故その問題に至った」と言う事が抜けていると思うんです。


方法論は根本を見えなくし視界を狭くする

どうしたらと言う方法論だけを言うと「~筋を鍛える」などと言う結果に短絡する様に思えてなりません、ヒトは生活するに於いて重力や自重に拮抗して生きています、つまり産まれたてから学生服を着て遊んでいた若かりし頃、なんなく出来ていた事が何かしらの問題を抱える事で出来る事が減少する今に至ります。


一番厄介なのは「運動連鎖」と言う現象がヒトの身体の中で起きて姿勢を作ります、例えそれが足首の向きひとつや背骨のひとつの動きが鈍くなるだけで起きてしまうんです、その結果動作の中での姿勢の崩れは元へ戻そうとする肉体の一番活動し無理を効かされる場所が痛みになる可能性が大きく、実際にも臨床ではとてもこれを感じています。


なので「膝が痛いので」「腰が痛いので」筋トレしましょうね、また姿勢が悪いのでこの筋肉を鍛えましょうねなど、確かにそうかもしれませんが姿勢が先ずちゃんと作れるのか?その状態で寝返りや着座などADL(生活の質)に関わる事がスムーズに可能なのか?そこへ着目する必要があるのでは?と日々感じています。



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