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本当の美味しいからあなたを遠ざける幸せの記憶

独り言の続き。

いわゆる合成系の新しい添加物入ってる食品は美味しく感じられない。
しかし、少し前まで、これとこれはどうしてもたまに食べたくなるというものがいくつかあった。し、ファストフードのお店で好きなお店もある。
それらの全てを2021年11月末時点で全て再確認したわけではないのだけど、少なからず、その美味しく感じられない感覚が強くなっているのは事実のようで、期せずして再確認になってしまったものがある。
それが、前の独り言のタイトルにもなっている某メーカーさんのパン。

間に入っているクリームの種類がいろいろあって、それを楽しむ系のものだと思っているけど、それでもパンありきのものではある。
そのシリーズは中高生の頃からずっと割と好きで、よく食べていた。大人になってからも。
しかし。
今回はすがかてしてしまったのが運の尽きだったかもしれない。

あれ?美味しくないっていうか、変な味がめっちゃする。

そう感じた。
そこで、まあ添加物たくさん入っているしね、と思ったんだけど、でも同時に「何故、添加物を摂ってなかった中高生の頃ですら、美味しく食べられていたんだろうか」という疑問が浮かんできた。
そしてもう一つ、同じメーカーの製品で、チョコチップが入ったスティック状のパンがあるんですが、それもたまに無性に食べたくなる。なぜだ。

すがかてしてみて何が美味しくないと感じたのかと振り返れば、クリームのべたっと感もあるのだけど、パンの酸味でした。それははむっと噛んでもぐもぐしてる間よりは、飲み下してからの後味。
大人になってからこれを食べるときは、大体いそがしすぎる時で、後味なんて感じる間も無く、次々にはむもぐはむもぐとあっという間に食べ終わるのが常でした。しかも、それをブラックコーヒーで洗い流す。もちろんそのコーヒーもコンビニの缶コーヒーだったりで、独特の酸味やえぐみがあるのが当たり前。パンの酸味に気づくわけがなかったんですね。
でも、しっかり味わってみると、酸味がいつまでも残るし、それが舌をずっと刺激してくるのに気づいてしまった。

大人になってからは忙しさで脳がバグっていたことと、他のクリームでも共通のパンの後味に気づかなかったことが、美味しいと誤解できていた理由かなと。
でも子供の頃のは何故だろう。

思い至ったのは、小さい頃から、このメーカーの食パンを毎朝食べていたこと。うちはおとんが米が嫌いで、朝は必ずパンの家でした。それで、私も朝は大体パンだったんですが、ほぼ毎日このメーカーの食パンだったんですね。近所のパン屋さんの食パンは、売り切れてたりで、たまーにしかありつけなかった。(ここのは今でも美味しい!)
私は、おうちが大好きなんですね。
だから、このメーカーのパンは大好きなおうちの記憶と共に私の中にある。ある意味、幸せの味。
これも脳のバグの一つではないかな。
それで、忙しくて泣きそうな時は特に、食べたくなっちゃってたのかもしれません。

甘いケーキや、香ばしいお肉なんかも、誰かのお祝いや誰かからの応援や、そういう心を満たすものと一緒に味わう経験が多い気がするんですよね。ケーキや焼き肉で癒される理屈、糖分やアミノ酸が脳にどう働きかけるかという科学的生物学的な解説も出ているけど、実際はその脳への刷り込みが大きいのではないかと思えてきました。
ちなみに、チョコチップ入りのスティックパンは、大学時代に深夜のひとりぼっちの研究室で齧ってたので、仕事で追い込まれた時に食べたくなっていたのでした。最近はそんな風に追い込まれなくなってるので、食べたいと思いません。

体が求めているものは美味しい
でも、体に悪そうなものも美味しい
なぜ?

その答えは、あなたの思い出の中にあるかもしれません。
もしその味が幸せの味なのだとしたら、それは思い出の中に置いておいて、新たなあなたの幸せの味を見つけてみるのはいかがでしょうか?
体が求めていて、こころも満たされる、そんな美味しいものを見つけられたら、人生さらに充実しますよ!

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