見出し画像

私と三軒茶屋のBar

その日の夜。
三軒茶屋で、友達と会う用事がなくなったので
せっかくだから何処かで飲むかと写真を撮りながらその街をふらふらとしていた。

オーセンティックなBarという気分でもなく
かといって、若い人達が集うような賑やかな場所でもないなぁ。と、思いながら行ったり来たり。
カジュアルかつ、カウンターだけのBarが、いい。そんなことを思いながら歩く。

知らない街をこのお店は、どんな感じだろう。
どんな人が来るんだろう。と、考えながら眺める時間は、愉しい。

そうしてふらふらしていると
とあるお店の名前に惹かれた。

ひまわりの詩。

賑やかな街にどこか静かな店名。
行ったり来たりしながら
その名前がどうしても引っかかったので
どんなお店なのだろう。と、思いながらそのお店のドアを開けた。

そうすると
求めてた通りのカウンターだけのお店。

なんとなくそんな気がしていたけれど
女性のバーテンダーさんがカウンターに、ひとり。
その日は、他にお客さんも居らず
端の方に腰掛けた。

バックバーを、眺めて
ディワーズのソーダ割りをオーダーする。
ひとりで飲むのもなんだか申し訳なかったので
差し支えなければ乾杯しましょう。と、言うと
ウイスキーのお湯割りをその人は、作り始めたので、昨夜飲みすぎました?と、聞いてみた。

自分がBarで働いていた時、お湯割りは、胃になんだか優しく飲みすぎた日は、それを飲んでいた。

「いや、ただはまってるだけです。」と、その人は、笑い、予想は、見事に外れたけれど
なんだか和んで、それからこのお店に辿り着いた経緯なんかを話した。

「仕事終わりにコンビニで
ビール買って歩きながら帰るの最高ですよね。
思わずロング缶買いたくなるけど
炭酸抜けちゃうの悲しいから
350ml買ってコンビニ通る度に買っちゃうんです。」と、その人は、笑い。

「自分も同じ事やってました。
でも田舎だから1時間くらい歩くその間にコンビニは、1軒しかなかったから迷わずロング缶でしたけど。」

初めて会った人と
気付けばそんな他愛ない話で、笑い合うような時間が優しい。
人と人との共通点は、その人の個人的な愉しみの中に生まれるのかもしれない。
ひとりの時間が繋いでいる事が、きっと沢山ある。
“気”が合う。という、その気は、人それぞれのその時間の過ごし方に生まれていくような気がする。
そんな事を思いながら
気付けば、ハーパーのロックを飲んでいる。
カウンターだけのBarで、飲むバーボンのロックが好き。
地元に居る時、バーボンのロックは、この店で飲むのが一番美味しい。と、毎回言っていたお店は、カウンターだけのBarだった。
そんな懐かしい記憶を思い出しながら
ハーパーのロックを傾ける。

歩くのが好きだと言う
その人は、雨の日には、歩いて出勤すると言う。
雨の日に?何故?と、不思議に思いながら
人それぞれにあるその習慣の違いや
そこから紡がれる言葉を聞く時間が愉しい。

雨が降るとあの人は今日歩いて出勤するんだろうなぁ。と、その人を思い出す時間が、柔らかくする心がある。
人と人が出逢うとは、そういう手紙みたいなものを渡し合うようなものだったらいいなぁと思う。
それぞれが過ごしているその日々が背景になり
拝啓お元気ですか?と、綴り出す手紙になる。
もしそうであるならば
それぞれの日々を大切にする事が出逢う人を大切にする事なのかもしれない。
そんな事を、考えながら
終電に乗り込む。
ほろ酔いで、揺られながら
最寄り駅に着いたらコンビニで缶ビールを買おうと思う。
もう炭酸が抜けたロング缶を飲むほど帰り道は、長くないけれど。
喉元に流し込む炭酸に、新しい思い出。
物事は、静かに繋がっていく。

三軒茶屋のBarで過ごした夜の事。








最後まで読んでいただきありがとうございます。