抽象的も具体的も使い分けがたいせつでした

公式や、単語の意味や、自分ごととして理解が追いついていないことや、問題を解くこと、ゲームで達成することそのものに楽しさを見出せない場合に、前提のルールや、名詞ひとつひとつを覚えるのが極端に苦手です。

なので、私はテトリスとぷよぷよの簡単なゲーム以外はできません。手に何も残らず、何時間経過したいう記録が残ることが苦手なこともあります。

誰かの思考を知るきっかけとなる本や、ルーツや手段や過程を調べること、深掘りすることは好きなため、時間を気にせず何時間も経っていることが多いです。

最近は、これまで苦手なことに対して、漠然とこのままじゃいけないなと感じるだけで、その先の具体的手段や方法を知らなかったことが解決したり、違う方法や目的に転換することに向かえなかったことが、漠然とボヤボヤとした状態でいたことが原因だったと知りました。
具体的な方法や、自分に合うマニュアルの作成づくりを始めました。
「今からだともう遅いんじゃない?」とめんどくさがりな内面が顔を見せてくることがあります。が、今からできることをひたすらやることで、この先の近いか遠いかは分かりませんが未来で「よかった!自分に救われた」となる可能性が出てくるので、前向きに取り組んでいます。
日記の活用方法が変わりました。

そもそも合わないな、や苦手なんだよな、ということに関して習慣化ができていないから嫌なのか、必要性を心で実感できていないか、そもそも苦手なことや興味がないことを矯正しようという目的に、その先の何を知り得たいのかが明確にできていない、埋もれて見えなくなっていることがあります。
思考停止・感情停止状態に陥ってしまっている時には、特にその傾向が強いです。

合うタイミングや、環境、方法もあります。
焦りや、緊張、肩に力が入っている時には、どうも感情が「何か、違う!」という状態になっています。
現状維持バイアスもあるため、変化しようとしていること行動そのものに対して反応していて、行動の内容は関係ない時もあります。
私は、具体的に暗記をするのが苦手なのですが、反復して経験を積めば覚えることができることが大半です。ストレスが高い状態が続くと、職場の4年くらい一緒に働いていた人の名前や、パスワードのド忘れが起きていたので、そういうことはイレギュラーでした。大半は、いずれ覚えられます。
逆に、覚えるぞ!覚えなくちゃ!と力みが全面に出てしまうと、体のエネルギーが力みに対応することに一生懸命になってしまい、思考が置いてけぼりになってしまうこともありました。むしろ、最近まで力みばかりで、意識が向きすぎていて、思考や感情といったことに対して見えない部分に意識を向けなさすぎたことがネガティブな結果を生み出していました。

それなら、逆だな、と。目の前の一つ、やる作業・行動の特定の何かに集中して良い環境づくり、取り組むハードルを下げるための準備を大事にすることが優先したほうが、目の前の相手や、具体的行動の目的に集中できて、結果として肩の力を抜くことができる、ということでした。
 人目や、他者の行動について意識して、空気を読んで、気を配って、コミュニケーションをタイミングを見計らって、相手に合わせるやり方で時間を最小限に、相手の時間を奪いすぎないように、自分の意見を言語化して、相手に伝わったか、意図の伝達ができたかを会話から確認して、というコミュニケーションを行い、他者の意見に振り回されて、発言の勇気よりも、他者からの批判を避けようとすることで精神的なエネルギーを消耗している期間が長かったです。
人が多くなれば多くなるほど、それは大きくなっていきました。
問題は、自他の精神的距離感に関して、線引きの具体的な理解が自分でもできていないことでした。あとは便利な言葉で、その言葉の意味する解釈を十分にできていない部分、あとは、他者比較でした。

最近は肩を凝ることが少なくなりました。時々振り返ってあげることの大切さを知りました。

具体的にする部分と、抽象的に捉えていた方が良い部分があることも物事によって変化します柔軟に対応する、ということは、どっちをどういう時に、どのくらいの割合で使い分けるか、という使いこなせる状態を示します。
スキルや、技術に関しては、具体的に工程や、内容を具体的にして取り組むのがよかったです。
思考や、思想、感性、感情、イメージは抽象的なことでまとめること、拾い上げることが多いように感じます。
解放してあげつつ、柔らかく今に適応していくことで、身と心の軽さを取り戻せるきっかけになりそうです。

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