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新しい今日が、明日になる

明日という言葉は最も身近な未来の形です。
予定があったら、特に分かりやすいです。
「明日たのしみだなー!」と感じてワクワクしたり、「明日憂鬱だけど頑張らなくちゃな」と折り合いをつけて納得させたりするときもあります。
時間には強制力があります。それから、忘れる、という特徴もあります。

不安は基本的にみんなに備わっている感情の一つです。
人間の感情を削ぎ落としていくと、快・不快の二つになります。何も感じない状態はどちらにも傾いていないので、思考が停止している状態です。感情とは表し難いと考えています。

理論的・感情的な人がいると言います。
理論的な人と聞くと、なんだか冷静でそちらの方が優れた人、のようなニュアンスで使われていることが多いように肌感覚で感じます。
 実際、理論立てて言語化する表現に傾いていて、感情を乗せることが少ないタイプを示すと考えています。
また、感情的な人は言語化する表現が乏しく、感情に乗った非言語の表現の割合が大きいタイプを示します。

理想は、自身の感情も自覚しながらも、TPOをわきまえて時には感情を抑えたり、時には感情を解放することができる状態。かつ言語化も併せて他者との交流を円滑にできる状態です。
感情的な人はみっともないのだという思い込みがあり、私の偏見であったのですが、抽象的かつ固定化されたイメージで持ってタイプをカテゴリー分けしようとする傾向が強かったのだと痛感しました。

派手な場所が得意ではないのですが、偏見によって派手な場所で盛り上がっている人を見ると、引いてしまうのは、みっともないのだと勝手に思っていたからでした。
それから、物事は大抵複合的に色々なことが同時に条件として重なっていることが多いです。

お祭りで盛り上がるのは、問題ないですが、たとえば渋谷のハロウィンのような、ゴミ問題や、やめてくださいと言われているようなモラルに欠けた騒ぐ、では盛り上がっていても、ポジティブなものか、ネガティブなものか質が違います。

感情を軽視していたこと、物事にはグレーゾーンの事象が大半であること、その中で何を見て、どう取捨選択していくのか、常に考える姿勢が大事でした。答えがないこと、選択肢はいくつも考えられる場合がほとんどです。折り合いをつけていくこと、自身の意見や考え、他者の考えや意見をお互い共通理解ができるように努力することが大事なことでした。
また、生きていく中でこれからどう動いていくのか、これまでに起きたこと、その地点での自分の選択をどう解釈するかでポジティブなものにも、ネガティブなものにもなります。
ネガティブな場合には他者への責任転嫁に移ろいやすいです。けれど、選択の自己責任論が全てではないです。自己責任論を中学生の頃から親にずっと言われてきましたが、全て自分のせいだという認識は自信を責めてしまうネガティブな作用で萎縮してしまいます。変な義務感はネガティブなことが多いです。
かなり生きづらかったです。
時代も流れますし、流行も、進歩してこれまでは通常とされてきたことが、通常でなくなることも多々あるのです。
これしか道がなかったという場合もあります。

 よく頭に浮かんでくる抽象的なイメージについて、偏見や、共感に欠ける、想像力の乏しい部分がないかを振り返って、具体に降ろして、欠けていたりバランスの書いた部分でネガティブなところを、ポジティブにしていけないかを考えることは大事なことだと感じています。
自己正当化ではありません。むしろその逆です。
短絡的に結びつけたりすることは危険なことです。それに、傲慢な性格になります。自分が正義!のような思想に傾いてしまうか、思考停止して同調圧力に流されてしまうことになります。

生きてきた分、勉強してきた部分、経験してきたことで学んだことが自分の持っている容量です。

私は感情に対する軽視があったことを自認しました。感情はもっと比重を置いて考えたり、言語化していくことが必要に、今感じています。
感情に寄り添うことができれば、自分も他者も尊重することができます。
もちろん明らかな悪意のあることや、他者を蔑むことに快楽を覚えて意図して行動する人もいますので、自分さえ良ければいいと他者をコントロールするそういう方は除きます。そういう方とは身と心に危害が及ぶ可能性が高いので、逃げましょう。勇気ある撤退、です。

ポジティブ変換ができる解釈、視点の切り替えとその先の行動という内側にも外側にも柔軟に行き来することができる状態が自由だと思います。
楽しい、心地よい行動につながることは一人で楽しめる行動、理想とする姿に近づくための勉強、仕事、他者を喜ばせることができたり、気が晴れるような作用ができることがポジティブなことです。

具体的にどんどん掘り下げて、理論立てて話せるくらいの状態が、自分の言葉で話せる、心を開いている状態です。
他者との関わりでは、表情や、態度や、背の高い低い、性差、年代、印象、といった言語化できない部分も作用してきます。
自身でも好きなものや好きなことの理由を具体的に説明しようとしても、全ては具体にできない部分が当たり前にあるのです。
言葉は強いです。
けれど、言葉は全て、ではありません。
どちらかが場合によってはより効率がよくて、社会的に望まれるというだけなのです。
何を優先して生きるのかは一人一人違うので、他者比較する必要がない場合もあります。勝負事では競争しているので、比較し、傾向や対策を立てることで勝つ、という目的があるのです。
どういう目的なのか、というところが具体でわかっていると少し生きやすいです。
同じ場所にいても、同じ世界ではない場合がほとんどです。個人の人生があるからです。
最近は満たされているな、と気づける回数が増えてきました。気づける、ということがありがたいです。ますますポジティブな行動や思想への転換を心がけて生きたいです。 

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