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生きなやむ人 第4回

・生まれること、生きること

7日に姉の子供が生まれました。2人目だったので、最初の子より生まれるのは早いかな、と思ったのですが、深夜まで連絡をして、まだ立ち合いができないことで、テレビ電話で旦那さんと繋がる、と言っていました。
それから2時間半後に出産が無事終わり、朝起きると家族ラインがおめでとうで溢れていました。
母子とも健康で安心しました。
旦那さんも子供が好きな方なのですが、テレビ電話で最後に参加してくれたことが嬉しかった、と言っていました。
聞いて姉夫婦の家庭が平穏な時期が長く続くといいな、と思いました。
良かったです。
言語を知らずとも、受け取る側と伝える側が開かれた状態であれば通じるところがあると改めて感じたのが3月でした。
猫や犬も言語はないですが、いろんな世界で生活していて、動物が好きな人は国とか関係なく好きだと思います。
赤ちゃんも、まだ小さな子供もまだうまく話せなくても家族とコミュニケーションをとっています

コミュニケーションと言って、言語をもって伝えたいことを伝えること、相手の考えを知ることだけではありません。
大人だと間を読んだり、雰囲気というものを汲み取ってその場にあった立ち振る舞いをする時もあります。
顔色を伺ったり、相手をおもてなしをするサービスに繋がることもあります。ただ、もっと小さな社会の家族の中でのコミュニケーション、仕事ではなく、組織とかそういうものではない形があります。
心を開いた状態で、境界線がはっきり区切られていない、お互いに緊張していない状態です。

息を吸って、吐いて、赤ちゃんは泣いたり、笑ったり、寝ていたり。空気が揺れます。人と人がいて、見よう、知ろう、という力の張っていない受け入れる姿勢が、素直な関心がお互いにあるのだと思います。
いろんな人に抱っこされて、お世話されて、素直に愛情を受け取ってくれる赤ちゃん。沢山の人に関わっても守られていて、どこまでも素直で、素敵な存在です。

猫や犬は全身を使って、表情や尻尾で感情を伝えます。それから、遊んだり、喜んだり、イタズラをしたりします。
動物は人の言語をほとんど使わずに一緒に生活すること、関わることができます。

大人も、子供も、素直に過ごせる時間を持てたらどんなにいいのだろうか、と思います。愛嬌のあること、笑顔が多いこと、過ちがあったら認め、改めることを「ごめんなさい」と言えること。喜びがあること、興味を持って、外に出ていけること。すごいことだと思います。

世の中にはいろんな人がいます。
皆いい人、というわけにはいかないです。
段々言葉を使って、自分、という主張が出てきたり、素直なだけでは受け入れてもらえない場合もあります。
それから、環境や、どんな人と関わりを持つか、それから、何をして、何を学んでいくか。
ひとりの人に歴史があって、それはまだ数時間かもしれないですし、何年、かもしれないですし、何十年にもなります。長い人だと100年を超えます。
アンパンマンのような、正義の存在でありたい、と思っても、悪者になりたい、と思う人は少ないと思います。

けれど、時には、誰かにストレスを与えることがあっても、そういう振る舞いをして知らせる、関係性を構築する場合もあります。
親がイタズラをした子供をキッパリ叱るような場合だったりです。
必要に応じて、素直になったり、自分を一旦置いておいて、あえて線引きをすることで社会との関係を学んで行ったりすることが必要になってきます。
そもそも必要な場合もあることを知っておかなければならないのです。

それから、悪質な人もいるということ。どこかの過程で、自分を制すること、律することが難しい人がいるのです。子供にイタズラをしたり、自分の欲を優先しようとする人、時に犯罪に該当するようなことをしたり、バレなければいい、と隠して自分だけを守ろうとする人です。
そういう人は、うまく擬態していますので、正しく警戒する力、逃げる力をつけていくことも必要になっていきます。

学力をつけるだけ、ではなく他者との関わり、線引き、といったところ折り合いをつける必要もあります。

いろんなことを学んできたんだなあ、と感じます。言語化されていなくても、学んできた部分もたくさんありますよね。学んできたことは、誰かに伝えることもできます。自分の身になってきた部分ですから。求められた時、それは言葉だけじゃないです。困っている表情の時、緊張している相手。何かを怖がっている人、言葉にせずとも求めている人もいます。
言葉に頼りすぎちゃいけないってことです。

また、何もかも関心を持てずに、生きている意味がわからなくなる人もいます。
そういう人は休むことが必要です。

休むことは、生活をすることです。
生活は、朝になったら起きる。身の回りを掃除したり、清潔にし環境を整えること。それから、栄養になる食事を摂ったり、栄養は勉強すること、体を動かすこと、遊ぶことです。それから、夜になったら、環境を整えて、汚れた自分を洗ってきれいにすること。それから、ちゃんとした寝床で寝ること、です。
そういうことを繰り返し、繰り返しやってきたはずなのです。
赤ちゃんがお腹を空かせてミルクを飲む時、生きるんだ、という本能的な意思を感じます。
食べるって、生きることとつながっているって、そういうことなのかな、とふと実感したのでした。言語として知っていても、理解が追いついていないことって多いです。

それから回復してきたら、頭と体を働く、という形で生活に活かせる働くということ。そういうバランスで仕事をするのがいいはずなのです。社会に生きている以上、対価をもとめられます。経済というものがあるからです。
技術力、自分の付加価値をブランドとして活用する人、芸術、運動分野、ITや、医療や、教育、サービスなど、専門分野で知識と技術を使う人、伝達すること方向でやっていく人もいます。体を使う人もいますし、見えない部分をうまく提供することで価値を作る人もいます。一つの分野でも細分化している今、新しいものが発展してくのも納得できます。言葉にまとめられて本質が分からないこともたくさんあります。
全部を知ることは難しいです。
それから、どういった形で自分のやることが、誰かの役に立つかは、自分で想像しているよりも、いろんな形をとっています。

好きに思える部分、仕事終わりだったり、年度末だったり、生活のふとした場面でも、家族との関わりの中でも、どこかでやってて良かった、と思える仕事をしていきたいです。

折り合いの付け方を学んでいます。

思いつくまま、流れるように書いてしまったのでまとまりがないですが、本当におめでたい日です。嬉しい日を、忘れずに覚えていたいです。


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