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生きなやむ人 第3回

生活のしおりを見直してみる。どこまで振り返るのか?

2023年4月3日から書き始めました。月曜日だったので、新社会人の方が街中に溢れていて、図書館はひとでいっぱいでした。宿題をしているのか、丸つけをしている学生さんの音が聞こえて、小さな子供の泣き声が聞こえてきました。もうとても、とても、いられなくて池の亀や鯉を見たり、水辺を見たりしながら姉に電話をかけました。生き悩むひと、の連載を始めたのですが、その時わたしはどうもしてもいられないくらい勝手に苦しくなって、それから、散歩を2時間くらい歩いて、スーパーに寄って、また街中を歩いて帰ってきました。

図書館で、虫と猫の図鑑をみて、スケッチをして、それからちょっと席を少し離れて戻っただけで、若い人の目線が気になって、集中力のない物音を大きく立てる英語を学習している人も、きょろきょろとする学生さんも、文字を書くのと、絵を描くときの鉛筆の音が違うので、過敏になって、もう、不安と心配と、いっぱいいっぱいになってしまい、2時間も経たずに図書館を出てしまいました。

毎年この時期になると、職場の新しい雰囲気になって新しい年度を感じていました。それがない7年目。不安でいっぱいで、勝手に置いていかれたような気持ちになりました。どうしたら良いのかわかりません。4月がこんな嫌な月に思えたことが久しぶりです。
あと1周間もすれば自分の入学式もありますし、それは自分で前々から決断したことでもあるのです。ただ、続けていた場合のことを勝手に想像して苦しくなったのでした。今まですがっていた安定を失ったのです。
不正出血がきて、一度検査もして中等量ピルの内服で一旦収まっていたのですが、またきたことで、嫌なことのフラッシュバックです。腰も鈍く痛みますし、体はだるさで重く、昼寝を挟まないと座っていられません。
何もかもいやです。悩む、というよりも沈んでいます。

月曜日はお酒を買いました。短絡的な方に逃げました。そうして、いつの間にかそのまま椅子に座ったまま眠っていました。
本は少し寄り添ってくれる時もありますが、今日はダメです。そういう日もあります。
4日になり、5日がきて、絵を5日に関しては深夜に小さい絵を描いてそれでおしまいでした。5日、というよりも4日の続きでいつの間にか0時をすぎていたというほうが正しいです。

5日。生理や不正出血のたびに生活がぐちゃぐちゃしていてはだめだ、と昼から図書館に行きました。
それから、本を読む方に集中しよう、と午前中はコーヒー屋にいき、本を3冊読んで返しました。
画集や、写真集を見ながら、ハンス・ベルメールという方の本を借りました。ページをめくるのがちょっと怖いと感じるシュールレアリスムの芸術家の方でした。
図書館でそれから、昼寝に当ててしまう14時から15時くらいの時間を家にいないようにすることを中心に考えた生活のしおりを改めて考えてみることにしました。
10時からやっている図書館を行くことを優先していたことに気がつきました。そのため、10時に図書館に行くのが目的、それで文章を書いたり、本を読むことをやっていた3月でした。ここに関しては、1ヶ月をまた個人的に振り返ってみようと思います。行くこと、行動そのものを目的にしがちな癖があるのは自覚できました。

17時か19時まで図書館は空いているので、午後から行っても全然問題ないです。
それから、今やるべきこと、ではなくって、やりたいと感じていることを中心に探ってみないとな、と感じました。1回計画を立てたらおしまい、ではあんまり自分に合ったものは分かりません。

書いてみた自分の生活のしおりを昨日ゆっくり見直してみました。
見直すことが大事だと感じました。
参考にしている坂口恭平さんの「自分の薬をつくる」という本にしおりを作るときの簡単なお約束ごととして書かれていることが2点あります

・一日のうちで一番体力がある時に書くこと。かつ、
・色んな用事で揺さぶられないこと。

坂口恭平さん「自分の薬をつくる」より引用

それと、難しいことは入れ込まないようにすることにしました。ハードルが高いと自信がなくなって、向き合うことが難しくなるからです。

この不調だったのは3月末に職場に行ったこと、4月1日に大きな振り込みが必要で10万近く貯金が一気に減ったことなどがありました。そういうストレスでアルコールに逃げた3月28日。深夜に嘔吐して、朝シャワーで髪の毛についた吐物を洗い流しても、まだなんとなく家にいる時に臭うような感じが1週間続きました。
それは、台所だったり、風呂場だったり、寝る時の布団の中だったりです。

色んな用事で、しかもストレスのかかる用事だったので、生活も乱れて、精神的にも不調が襲ってきたのだとわかりました。
そして、やっぱりストレスがかかった時の対処法が確立できていないので、まだアルコールに逃げてしまうこともわかりました。

ストレスマネジメントも自分に合うものを探っていきたいです。
0にすることはできないのはわかっていても、体に良くない方法を取らない手段を身につけていきたいです。今の課題です。

振り返ってみると見えてきたこともあります。
無自覚だったところが、明らかになるだけでも客観的な自分というものが見えてきた感じがあります。

認識の中での葛藤が大きいとストレスが大きいです。
今の自分の状況でいけば、自分で選択して職場を辞めて、大学で学ぶ時間をリハビリとして設ける。という選択です。
ここに、続けていれば、という社会人としての在り方を選択しなかった自分を責める気持ちと、大学を選んだけれど、これをやり遂げられるか不安。自信がなく自分で自分の首を絞めている、または単にモラトリアムとして逃げているだけではないか、という気持ちです。

今日6日には不安から、掘り下げることをやっていました。どこまで?と思いますが、事実を記述する方法で小学生の時にあったことを1事例。働いていた時のこれまでのことで1事例やっていました。
掘り下げてみると、認識の中に「認知的不協和」というものが存在するな、ということがわかりました。

次回、認知的不協和について調べてみたことを書いて見ようと思います。


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