田舎ほど思考が極端かもしれないという話

都会に住んで8年、気づいたことがあります。
考えが極端だよね、という在り方の白黒思考の事に関して。貧富の差と、地域差もあるかもしれないという事です。

都会って何が良いのか、と思って特に魅力に思って上京してわけではなくて、私の場合だと、言語の方言で会話の難易度が上がること、それに適応することのエネルギーを割きたくないと思い、方言のない東京を選びました。

都会にきて、仕事以外に精神的余裕がなくて、最近ようやく余裕が少し実感できるようになってから、楽しいことに目を向けることができるようになりました。

田舎の映画館では、放映される映画の時期が半年ほど遅れます。また、映画の本数が限定、人口が少ないため、大きな利益が見込めるものに限定されるのです。
そのされるため、有名どころのものだけが選ばれます。最近はサブスクリプションが一般化したので、お金の余裕があれば、見れるものは増えます。映像、音楽以外だと、生で見るもの、体験するものになります。これは今も変わらず、都会になればなるほど、地続きでアクセスできるかどうか、お金が割けるかで触れる、体験できる機会が変わります。その興味のある分野がマニアックになる程、田舎では利益の見込めるものに選定されるため、その場がなくなります。

土地の田舎が逆に、農業では発展してメインとなっている場合もあるので、そういう意味では農業都会になります。

良い面も、あんまり良くない面どちらもあるのですが、住む環境は生まれた場所や、家庭の影響が大きいので、自立してから移ることができるようになります。

売れるもの、大手のみが認知されると、そこそこ売れるものやマニアックな在り方は田舎では認識されないことが増えます。コミュニティにもマッチする人が少なくてという状況も考えられます。中間のグレーゾーンを認識する機会は減っていることって、ある意味物事の捉え方にも影響するのかな、と感じました。

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