自立しすぎについて

YouTubeで最近「心の相談室きい」さんのチャンネルを見ています。解説がわかりやすくて、いいな、と思ったところが「拠り所を問題によって複数分けること、今の人がダメなら全部ダメ、というわけではなくて別の場所に探せばいい」という点です。
自立しすぎの人の項目を見ていて、そうありたかったわけではないけれど、「冷たい環境」にあったためにそうせざるを得なかったことに気がつきました。
今でもその影響が残っていて、反射的に嫌なことも飲み込んだり、負の感情をその瞬間瞬間に出すことができずにいたりして、今でも苦痛に感じることがあります。
心がぎゅっと、思い出して苦しくなりました。
それから、なんでもすべて自分に責任があったのだという背負い感が大きくて、責任転嫁をよくされていて、相手も抵抗しなさそうな人や、言い返してこなさそうな気の弱そうな人に対して選んでそうやっていると思うのです。もちろんたまにはほとんど10割近い割合で自分に過失のある失敗もあります。けれど、割合が半分づつな時や、むしろ相手側の過失が大きい場合にも擦り付けてくるようなこともあります。
新社会人の時から辛い最初の4年間を一緒に乗り越えた同僚と最近話した時に、「周囲の先輩や上の立場の人が、責任を下の人に全て擦りつけようとする職場で、先輩で見習いたいと思える人がいなかった」という話になりました。トップが一年ごとに毎年変わっていたり、毎年離職者が多い職場でした。「初めての職場でなにもわからないから耐えていたけど、割を食らったね」と。
部署が異動になってから、最初の部署の方法のおかしさには気がつきましたが、最初の刷り込み教育が今でも染み付いていて、同僚は職場を変えても働き方に影響が出ていると言っていました。わたしは職業そのものが嫌になってしまったので、今は、再度同じ職業に戻りたいとは思えません。
うまくその場を凌げたり、かわせたりができる場合にはいいのですが、それでも耐えるのが長くなってくると後々に支障が出てきます。
自立しすぎな人と、上手に自立できている人の違いを見て、わたし自身自立が上手にできて生きている人を見ると嫉妬してしまうな、と思いました。
人は背中に見えないものを抱えている場合ももちろんあるのですが、乗り越えてそうなった人にはそうなりたい、と思います。また、冷たい環境を経ることなく来た人に対しても、比較してしまって、苦しくなります。
誰かと比較するものではないと分かっていても、自立している人、と自立しすぎな人と二つを見ると、思い浮かぶ人もいるので、あくまでも自分がどうしていけば上手に自立して生きていけるかのヒントがもっと欲しいな、と思いました。
ChatGPTにそういう系の質問をすると、「自己認識をして強みと弱みを明らかにすること。完璧でない自分を受け入れること」などの意見をくれます。
生産性のない時間の過ごし方や、自分の存在を見ると嫌になってしまって、内側から自分のことが嫌いになってしまうので、何かを持っている、とか何かスキルがある、ではない部分の自分の存在を受け止めることから少しずつ始めていかなければいけないな、と感じました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?