引退

まだ2月だというのに春一番が吹いたり、暖かくなってきましたね。

春と言えば、いろいろ思い浮かぶんですが引退勧告を受けたのは高校の春合宿だったのを思い出しました。


小学校から陸上競技を始めて、すぐにハードルを跳び始めた私。
高校はハードルが専門の先生がいる学校を選び、400mHに挑戦しました。

が、高校2年になる春合宿で、記録会に向けて110mHの練習をしていた時に監督から

お前ハードラーじゃないな

と、ハードラー引退を告げられました…。
110mHをやる身長やスピードがなく、全くインターバルを走れてなかったので、110mHの適正がないってしてきで、やりたかった400mHへの発言ではないんですけどね。
記録会では400mHだけ走ったんですが、記録はダメダメ、変なフォームで走ったので競技人生でこの時しかならなかった腰痛を患って、ハードルの道は閉ざされました。

その先は、体力作りで走っていた800mを専門にして、高校を過ごしました。
大学に入って1500m、そして3000mSCでまた障害を跳ぶことになりました。

誰よりもキレイに障害を跳んでいた自信はありましたが、水濠は下手でした(笑)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?