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美濃路に残る歴史の跡を歩いて

三英傑が勝利とともに凱旋し、朝鮮や琉球の使節が行き交った街道のまち~まち歩きなごや

美濃路、浅間町から枇杷島までの街道を歩き、清州越しで移設されたお寺や神社、城下防御と治安のためにつくられた寺町の機能を知りました。

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最初に訪れたのは、宝周寺。 戦災にあっても残っている当時の門を見ることができました。すぐ近くにある林貞寺のナマコ壁の高堀は、武家屋敷から移築されたものだそうです。海福寺は、一般公開されていない格式高いお寺。お庭だけ、特別に入らせていただきました。


樽屋町の大木戸跡
城外と城下を分ける境界に設けられていた、大木戸。名古屋城下には、3か所の大木戸があったそうです。それぞれの街道の入り口にあり、治安のため夜間は閉じられていたようです。

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 江戸の末期から凧を作られている、和凧の凧茂本店さん。昔は、お武家さんが凧あげを楽しまれたとのこと。3代目の「飛ばなければ、凧ではない。」 という思いから、しっぽをつけて飛ばしても楽しめる凧。正月に購入して、1年経ったら飛ばすという楽しみ方もできそうです。

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手焼きおかきやさんの隣には、人1人が通れる小さな道「閑所(かんしょ)」と呼ばれる路地。街道へ続く道は、今でも利用されていました。

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八坂神社は、5月に提灯祭りが開催されます。一見の価値ありと、ガイドさんから写真を見せていただきました。提灯の大きさに驚きました。
まちを歩いていると、屋根の上に屋根神さまをいくつも見ることができます。町内毎にあり、病院の上にもありました。地域の守り神として、受け継がれています。


八幡社、西源寺、清音寺は、ガイドさん手作りの「西源寺小史」という小冊子をもとに見学。江戸時代、庄内川からの城下防御の役割も知ることができました。

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黒龍神社は、五穀豊穣の祈願をしてご鎮座して370余年、もともとは、庄内川の中州にあったそうです。昨年9月都市計画により御遷座。天井には立派な龍の絵が描かれています。
神社の前には、水見杭があります。昔は水見番人がいて、水位があがると、名古屋城へ「御注進!御注進!」と報告に走ったそうです。防災対策ですね。


江戸時代、名古屋城にとって重要な街道であり、多くの大名や使節が利用した美濃路、寺院や神社、それぞれの役割や歴史を知ると楽しいですね。5月に開催される八坂神社の提灯祭りのときに、またゆっくり歩いてみたいと思いました。


<レポート:わかお、写真:齋藤>

■今回参加したまちなか寺子屋


■まちなか寺子屋


■やっとかめ文化祭


【やっとかめ文化祭2020】
2020/10/24(土)〜2020/11/15(日)
参加方法はプログラムによって異なります。
詳しくはやっとかめ文化祭公式ウェブサイトよりご覧ください。


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