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小説 開運三浪生活 44/88「荒ぶる街」

学校にしても職場にしても、最初の日は自然と気が引き締まるものである。ぐうたらの文生ですら、例外ではなかった。

予備校初日の朝、文生はアラームが鳴る前に目覚めた。時計を見ると六時前だった。盛岡ならとっくに朝日が昇っているはずだったが、広島の空はまだ暗かった。日本列島が東西に長いことを文生は改めて実感した。

起き上がって薄手のカーテンを開けると、徐々に白み始める窓外をバックに、網戸にへばりつくヤモリの小さなシルエットが浮かび上がった。東北ではついぞ目にしなかった爬虫類だが、小さな指はどこか愛らしく、かわいい隣人といった感じだった。

浪人二年目の四月、十九歳の文生は岩手から広島市内に引っ越した。契約したのは、見るからにおんぼろの木造アパートの一階である。洗濯機は玄関脇に外置き、トイレは和式、部屋は四畳半の和室、ベランダなし。窓を開けると、隣の児童公園の蔦だらけの金網が視界を阻んだ。向こう一年間、文生は布団を干すことを早々にあきらめざるをえなかった。

場所は広島駅の南口から線路と平行に東へ徒歩十分のところで、駅前の喧騒からは離れ、倉庫や町工場が立ち並ぶひっそりとしたエリアだった。山陽本線の線路側には貨物ヤード跡地と呼ばれるだだっ広い更地が横たわり、場末感をいっそう引き立てていた。その無機質な景色からは想像もつかない夢のような野球場が後年建つのだが、当時の文生は知るよしもない。

ともあれ、広島は文生にとって初めて暮らす都会である。しかも、初めて純粋に自分の意志で住む土地でもあった。この街で過ごす一年間が、充実しないわけがなかった。予備校での勉強も、広島での生活も、文生は楽しみで仕方なかった。目の前に、あらゆる可能性が際限なく広がるように思えた。

アパートから予備校への道すがら、文生は緊張の中にも新しい土地の風景を楽しんでいた。抜けるような青空だった。クリーニング屋から流れ出る熱を持った匂い、日差しを浴びて白く輝く跨線橋、初めて目にする赤いコンビニ、卑猥な情報が無数に貼られた電話ボックス、生臭さと消毒臭と活気が昭和然と入り混じった「愛友市場」。ところどころに古さを残しながら、荒々しく、明るい街。それが、広島の第一印象だった。

電停と駅の間を行き来する人波を横に突っ切り、駅の西側へと文生は進んでいく。高架下を抜け、京橋川という川が左手に見えると視界が開けてくる。川の向かいにたたずむ細長いガラス張りの建物の前で、文生は立ち止まった。川相塾広島校である。

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