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小説 開運三浪生活 45/88「川相塾広島校」

高校の授業のつまらなさは一体何だったんだろうと思うほど、川相塾の講義はわかりやすかった。さすがに月謝以上の価値はあった。数ヶ月前までの、何ら手応えもないまま独り教科書に向かった日々の、いかに無駄だったことか。

予備校の講師と言えば、派手でタレント然としている――そんな先入観も、実際に講義を受けた今、改めざるを得なかった。

例えば三十代がらみの小柄な男性講師が教える化学の講義は、前半でたとえ話を交えながら理論をかみ砕き、後半ではテキストの問題をてきぱきと歯切れよく解説した。噛んで含めるような、それでいて一種の話術とも言える軽快な語り口に、文生は飽きることなく聞き入った。どの講義も無駄なく無理なく進められた。

身分こそ二浪生だが、こと理系科目に関しては入学したての高校一年生と大して変わらない文生の学力である。頭の中はすっからかんであった。優等生だった過去はもはや自意識から抜け落ち、ひとりの劣等生として謙虚に講義に臨む文生の姿があった。それまでの人生で一番、他人の話に素直に耳を傾けた。まさにスポンジが水分を吸収するように、講師の言葉は淀みなく文生の脳に入ってきた。どの講義も新鮮だった。

それでも、昼下がりの講義は睡魔との戦いになった。

――寝たらまた落ちっつぉ!

その都度、文生のなかの理性が叫んだ。さすがに気が張り詰めていた。貴重な講義の時間を睡眠でみすみすつぶせる余裕など、今の文生にはあるはずもなかった。塾内には食堂もあったが、文生は眠気防止と出費の節約を兼ねて、昼飯は通塾途中のコンビニで買う百円のミルククリームパン一本とサンガリアの緑茶だけにとどめた。夕方が近づくと空腹が襲ってきたが、どうにも耐えられない時は校内の自販機で売っている甘いドリンクでしのいだ。

講義が終わると七時まで自習室で復習し、広島駅前のダイエーで半額に値引きされた総菜を買って帰路に就いた。人通りの多い地下通路を進んで地上にのぼり、愛友市場の前に出る。何があったのか、サングラスをかけスーツを着崩した男性が電話ボックスを殴って通り過ぎていく。居酒屋から、品の悪い笑い声が漏れる。

混沌とした空間を足早に抜け、徐々に静かなエリアに入っていく。どこからか、けたたましいバイクの暴走音が聞こえる。街がはらむ荒々しさに、文生は足早になる。四月上旬と言えど通塾ルートに桜は一本もなく、新しい街に感じる新鮮さと涼しい夜風だけが季節を思わせた。

部屋に入って、文生はようやく人心地を得る。朝の炊き残しの白米を茶碗によそり、即席の味噌汁を誂えて、買ってきた半額のキスの天ぷらを食った。ラジオはカープの試合を中継していた。テレビは岩手のアパートを引き払う時に手放した。そんなものを観てる暇などないのは明白だった。

飯を食い終わると、引っ越してきた日にダイエーで買ったパイプデスクに向かい、三時間ほど講義の予習をした。0時に風呂からあがり、あとは寝るだけである。濃い一日はあっという間だったが、充実していた。苦痛だとも孤独だとも思わなかった。爽快なリスタートを切った感触が、文生を満たしていた。

川相塾の四月は「春期講習」と銘打たれた数週間の短期講習に充てられていた。各教科の入試の勘どころだけをおさらいする、浪人生にとってある種リハビリのような講義で、実質的なスタートは五月の大型連休明けだった。文生が籍を置く大学受験科・広大理系コースのカリキュラムに則り、時間割が組まれていた。

水曜の午後の一コマだけは、「化学実験」というオプションの講義だった。ひととおりの実験は高校の授業で体験済みだし、入試に実験の実技などないから、とらなくてもいい講義ではあった。だが、そこは春先からやる気に満ち満ちている文生である。

――化学の苦手意識が、ちょっとでも薄まるかもしんない。

考えてみれば、高校時代の実験はいつもひと任せだった。おかげで何も身につかなかった。机上で学んだ理論を実験で体感すればもっと理解が深まるはずだし、同じ浪人生との語らいは刺激になるに違いない。もしかしたら異性と話せるチャンスだってあるかも知れぬ。生来の人見知りを棚に上げ、女子との会話をハツラツと楽しむ自分を文生は想像していた。

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