地獄デスノート217
私を代表とする、日本人の多くは英語をこじらせている。
(勝手にごめんなさい。)
私は40年以上生きてきたけれど、
英語が生活の中に入ってくることは一度もなかった。
高校生の時は科目としての英語には”勉強”として、毎日接していた。
そして、大学生になって私が毎日精進してきた科目英語は、世の中では全く通用しないことを知ってしまった。
4技能全てがもはや”英語”ではなくて科目だったことが残念だった。
そして、私が入学した学部では”英語”を使いこなしている人たちが9割だった。
+北京語だとかドイツ語だとかデンマーク語だとか、タイだっけな?私にはどこかわからん国の言葉とか、、、。
その人たちと一緒にいると、思った。
家庭の中に英語があったり、外交官や大使館の娘だったり、本人がなぜかメチャクチャ英語が好きで幼稚園の頃から親に頼んで英語学習をしていたとか、そういう人たちだった。
日常生活や文化が全く違った。
あ、次元が違うんだな。と思った。
大学の本来の専門課程に進む前にその状況で、
学習能力というよりも、語学や経済力ですでに順位というかヒエラルキーがつけられてしまった。何も知らずに入学してしまった私はバカだった。
そこからは私の落ちこぼれ大学生生活が始まった。
劣等感ではなく劣等コンプレックスを持ってしまったから。
無理だって。
生まれも育ちも違いすぎる。
涙の努力をして、何を得られるの?
ただでさえ、虐待サバイバーでやさぐれていた心は荒れ放題になってしまった。
学問が身に付くわけがないよね。
過去を振り返ってみても分かるように、語学のこじらせというよりも、
複合的な劣等コンプレックスなのではないかなぁ。
その一部として、語学は分かりやすく表面化しやすい物なんじゃないかなぁと思った。
あの頃、ほんとに辛かった。
アルチューの大人のために救急車に真夜中2時3時に同乗した挙句、翌日には分厚い英語の教科書からの試験にめまいがして、そして留年した。
そこで私は大学を辞めたかった、せめて転部したかったけれど、資金提供者からの圧力で継続。
地獄の日々が続いた。
まさしく”地獄”という言葉がピッタリだ。
悪い人間関係に逃げてみたり、どれか一つでも手放したかった。
自分のことも、もう本当に全てを投げ出したかった。
それでもなんで毎日生きてるんだよ。
それが不思議でならなかった。
小学生の時は、虐待から逃れるのが精一杯で、
高校では勉強することが唯一の安らぎだった。
大学では生い立ちと勉強量を処理仕切れずに、アイデンティティーが崩壊して心が完全に壊れた。
廃人のまま社会人になって、ますますゾンビ化していたら体が壊れて休職。
もはや悪魔になった私は、人生初の暇に耐えられなくて結婚出産。
悪魔が育児という天使を育てる苦行をする日々。
そんな中、悪魔としての肉体も限界がきて寝たきり。
天使たちのお世話のおかげで今ここ。
40年の人生は地獄の日々。
私が悪人だったから地獄に産まれたとすると、
悪魔になったのは、地獄界で成長して出世できたことになるのかな?
そっか、私って悪人だったのね。そして悪魔なのね。
悪魔だから地獄に産まれた。
だから地獄を生き抜けば良かった。
天使に憧れたり、天国を夢みたりしないで。
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