愛デスノート121
映画”食べて 祈って 恋をして”観たよ。
今の私のテーマはハッピーネタを探すこと。
その時の方向性、ベクトルはどこに向ける?
映画からの教訓。
人は食べて、祈って、恋をしていれば大概は幸せだとさ。
じゃぁ、私も習ってみようかな。
ー食べて Eat
好きなものを食べて飲む。自分の体が欲する時に欲するものを。
ー祈る Play
これは時々考えるとか、自分を律するってことかな。
振り返りとか内省としてもいいかも。
瞑想とかヨガとか、書く瞑想noteとか
ー恋をして Love
恋 ?愛?
好きなことにとことんハマる、のめり込む、最近は沼るとかいうのかな。
そして、これが結構難しいよね。そりゃそうだ。ただ、やってみないと、何も始まらない。ということで、とにかく何かにハマってみようよ。
恋をしている感覚でやってみる。やってみる、では違うのかな?
これは恋じゃぁないんだ。
あと注意点があるな、世俗的な恋は、恋をする相手には注意が必要になる。例えば子供はダメだ。やめておいた方がいい。それから、芸能人以外でリアルに生きてる人は要注意。これは世俗的な恋であってちょっと違うかな。
それから、動物、乗り物、建物、スポーツ、音楽。あ、でも、それはやっぱり人間じゃぁなくて、道具というか、一つの方法になるかな。恋をしている相手や友だちとする活動かな。
Loveは
好きな人を通して、好きな人の目を通して、自分がいろいろな活動を体験する。
推しや、好きや、ハマるのはloveではない。
それはあくまで文字通りの推しているだけ。
自分勝手に自分の都合で、相手をただ推す。自分の好き、でしかない状況。
一方、恋あるいは愛は、相手の目、耳、体になって感じる。けれどもその人になる訳ではなく、自分は隣で寄り添う。
つまり、これは愛の活動であり、共同体感覚であり、愛するという事、というものなのだろう。
Eat,Playーーーここまでで、自分を満たしておく。
Loveーーーここで相手になって体験する。それが最高に幸せな事なんだと思う。
私たち人間にしかできないし、私が私という人間が、例えば娘の目を通して体験したり、息子の耳で聞いたり、夫の体で体験する。そんな経験は私にしかできない。わお!
一瞬一瞬を、自分を満たすために食べるか祈るか、相手になって体験する=愛か。
これだけで過ごすことが幸せ。というものなのかも。
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