55468_曽呂利書影

なぜ「曽呂利」を改稿しまくったのか(昨今の出版事情を絡めながら)

 WEB新連載の「桔梗の人」よろしくお願いいたします! と共に、2019年2月新刊の「奇説無惨絵条々」(文藝春秋)と文庫化「曽呂利」(実業之日本社)もよろしくお願いいたします。

 ここのところ、毎日のように「四割差し替え」と叫び続けているおかげで「あいつ暇なんじゃないか」と思われている節のある作家・谷津矢車だYO! どうもこんにちは。

 さて、今日はちょっと真面目な話をしましょう。
 なぜ、四割も差し替えを行なったのか。

 もちろん作家としての沽券というのもあります。でも、現状、わたしたち作家にのしかかっている現実についてお話しせねばなりますまい。

 今現在、読書家にとっては天国のような時代になっています。
 某オンライン書店さんの伸張により古本の流動性もいや増すようになりました。おかげで発売から一月もかからずに新刊が値崩れを起こすようになってしまいました。まあそれも脅威といえば脅威なのですが、古本が手に入れやすくなったというのは現代を生きる作家には別の脅威がのしかかってきています。
 お客さんがより過去の名作を手に取りやすくなったのです。
 過去の忘れ去られた文豪や流行作家の作品は(古びこそしていますが)やはり面白い作品が多いです。作家の成果物は書店というフィールドの中で新人から大御所までがほぼ同じ値段の値札をつけられて並んでいるという、かなり特殊な商品なのですが、さらにそこに「忘れ去られた文豪・流行作家」というライバルが登場し始めたわけです。こう言っちゃなんですが、評価の定まらぬ若手作家の本を読むより、古本でそうした過去の名作を買い集めた方がいいや、となってしまうのは当然のことなのです。実際問題、編集者さんにお話を聞いてみると、昔の文豪の本の復刻が人気らしいです。お財布事情が厳しい昨今、質が担保されていない(ようにみえる)現代作品を青田買いして嫌な思いをするより、過去の名作を買って満足したい、という読者さんの消費行動は痛いほど理解ができます。
 現代の作家は、過去に例がないくらい内部にライバルが多いのです。

 えっ? スマホ? ゲーム? いやいや、そことの戦いは二の次三の次です。そういう神々の戦いは、小説の世界で成り上がってから気にすることです。

 過去の名作と対峙するためには二つの戦い方があって、一つは現代性を強く盛り込むことだと思っています。あともう一つは、真正面から過去の傑作と戦うこと。

 ようやくわたしの結論が見えてきましたね。
 わたしが今回四割も内容を差し替えたのは、過去の傑作と殴り合う(比喩)ためです。今のわたしの力では1ラウンド立っていられるかどうかも怪しいところですが、一歩踏み出さぬことにはどうしようもないってなものです。

 というわけで、気宇だけは一人前のクソ作家、頑張ってまいりますよ。

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