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読書感想文と谷津の七転八倒④

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 前回

の続きなんだぜ。
 なんかこの連載を休止している間に、読書感想文がTwitterで話題になってますね。いやー、我ながら先取りしちゃった感がありますね。

 それはさておき。
 前回は、テクスト論を知ったことで作者の意図に忖度する必要はないことに気づいたところまででした。

 大学生になった頃、わたしには一つの変化がありました。
 小説趣味を復活させたのです。
 もともと中学生の頃から書いていたのですが、色々と忙しくてしばらく小説趣味から遠ざかっていたんです。ところが、文系の大学生は暇なのです(語弊ありあり)。講義の合間合間にかなり時間があったので、小説趣味を復活させる余地が出てきたんです。
 受験勉強にかまけて遠ざかっていた読書も復活させたことで、私の小説趣味はかつてないほどに恵まれた環境になるのですが……。
 なんとここで、わたしは読書感想文とは何なのかに気づくことになります。

 読書感想文は、自分を表現することなのだ、と。

 小説を書く趣味は、「本を読むとはどういうことか」と向き合うことでもあります。小説を書く、という行ないは「小説という媒体を通じて、どう読者さんと向き合うか」という問いが常に圧し掛かります。すると当然、読者として自分がどう振舞っているのか考える必要性が出てくるわけです。

 たとえば、ある小説の展開について「これはいい!」と思う場面ってありますよね。でも、万人がそこを等しくよいと思うとは限りません。何かをよいと感じる思いは、その人の人生を映す鏡なのです。
 
逆もまた然り。小説のある場面について「この場面嫌い!」ということもあるでしょう。でも万人がそこを「嫌い!」と思うわけではありません。嫌いという思いもまた、その人の人生を映す鏡です。

 おそらく、読書感想文とは、「”ある本を読んだ自分の反応”を描き出す、ある種の創作物」なのです。

 自分はいったい何者で、その自分がなぜこの本を選び、この本のどういう処に感銘を抱き、どういう部分に嫌悪感を抱いたか。それは高度な自己紹介であり、迂遠な内面暴露であるといえます。
 そりゃ難しいわけですよ読書感想文。
 ほら、就職の際に自己分析ってやりますでしょ? 「わたしの強みは~、弱みは~」みたいなことを延々考えるやつです。わたしは齢34にしてまったく自分が何者なのかわかってませんけど、「自分が何者か」を規定できている人は少ないんじゃないですかね。
 うつろいやすい「自分」を書くのが、読書感想文なんだと思うんですよ。

 おそらくですが、ぐっと来た箇所を読み返して、「なんでわたしはこの箇所に惹かれたんだろう?」と深掘りしていけば、きっとその人の内面に行き着くんじゃないかと思うんですよね。

 大学時代のわたしのその気づきは、今でも健在です。
 今も考え方の枠組みそのものは変化していません。

 きっと、読書とは、本を通じて自分が何者なのかを知る営みなのだと思います。そして、読書感想文は、本を読むことで知った自分の正体を世に暴露する創作活動なのだというのが、今のわたしの暫定的な結論です。

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