![55468_曽呂利書影](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/9902640/rectangle_large_type_2_dda7204e3e3a6cd768237b824d1ee051.jpeg?width=1200)
『曽呂利』御展開書店様③&曽呂利、お前は一体何者なのだ②
WEB連載の「桔梗の人」よろしくお願いいたします! と共に、2019年2月新刊の「奇説無惨絵条々」(文藝春秋)と文庫化「曽呂利」(実業之日本社)もよろしくお願いいたします。
はい、まずは『曽呂利』ご展開書店様情報です。
いつもお世話になっているくまざわ書店南千住店様より、『曽呂利』のノベルティが届いたよというお知らせが。
いつもありがとうございます!
こちらのノベルティはご希望の書店様でお取り扱いいただいております。もし『置いてもいいよ』という書店様ございましたら、ぜひとも実業之日本社さんかわたしまでご相談くださいませ。
あと、厳密には書店様情報というわけではないのですが。
フレンズ書店員◆ゆきさん、増山実先生、なんかありがとうございます! (増山先生とはくまざわ書店南千住店さんのご紹介で知り合っており、今度の紀伊國屋書店笹塚店さんの合同サイン会でもご一緒します)
さて、前回エントリの続きを。
わたしが歴史小説を書く際に使う技術に、「読み替え」があります。ようは、ある特定の人物の逸話を先入観抜きで眺め直し、まったく別の文脈に仕立て直すというやり方です。たとえば、「義の人」で知られる島左近を「戦狂いのやばい人」と読み替えた『某には策があり申す』(角川春樹事務所)などはその一例ですし、実は二月末刊行の『奇説無惨絵条々』(文藝春秋)もそうした読み替えの技術を用いた短編集です。
実は、『曽呂利』もまたそうした「読み替え」の産物です。
前回、曽呂利新左衛門は一休さんみたいな語られ方をする頓智話の主人公というお話をしました。この筋の語られ方は数々の講談・落語でなされているのですが、これをうまく「読み替え」できないか、というのが拙作『曽呂利』の発想の源でした。
そうして彼の逸話を並べてみると、あることに気づきました。
曽呂利新左衛門、なんか知らんが豊臣政権の権威を貶めるようなことを平気でやってないか? と。
曽呂利の逸話に、太閤の耳を嗅ぐ、というものがあります。ある日秀吉に伺候した曽呂利がいつでも秀吉の耳の臭いを嗅いでもいいという許しを得たというものです。これだけだとなんのことか分かりませんが、いつでも、というのがみそなのです。大名たちが伺候している時、上段の間に座る秀吉の耳を嗅ぐ曽呂利……それはまるで、告げ口をしているように見えるではありませんか。かくして曽呂利は告げ口されたくない、あるいは秀吉の歓心を得るために、曽呂利に付け届けをするようになりました、めでたしめでたし、というお話です。けれども、この逸話、かなり危ういですよね。普通の命令系統から逸脱した曽呂利新左衛門が、隠然と権力を握っていることになるからです。
そう気づいてから、逸話を見返してみると、頓智の裏に隠れた曽呂利の暗い笑みが頭をよぎった気がしたのです。
「これはいい読み替えになるぞ!」
実はこのネタが思いついた時、実業之日本社さんでは別の長編を書く手筈になっていました。ところが、当時の編集者さんに「どうしても書きたいものがあるんです」とすがりつき、曽呂利新左衛門を描くことに決まったのです。実は、それが2014年のわたしです。
この話、あともうちょっとだけ続くんじゃ。
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