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努力が報われるということ

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 ここのところ、前鋸筋(ぜんきょきん)が気になってます。
 前鋸筋というのは、肋骨の中ほどから肩の方に伸びている筋肉で、腕を伸ばすのに使うことが多いとされる筋肉です。腹斜筋と並んで胴のサイド部分を構成するので、逆三角形のかっこいいボディを作る際には鍛えたほうがいい筋肉ですし、ボクサーなど、相手を殴る競技をなさる方は鍛えておいて損のない筋肉だそうです。
 わたしは特に人を殴る予定はないので、和服をかっこよく着るために今度は前鋸筋とか僧帽筋、胸筋辺りを鍛えようかなあと思っているのです。

 ここのところ筋トレにハマっているわけですが、それまでは「筋トレ? 何それおいしいの?」状態でした。それまでは筋トレなんかつまらない、ただただ苦しいにもかかわらず、あんまり成果の出ない、何とも要領を得ないものでした。
 そんなわたしが今、ゴムチューブまで手にして筋トレに勤しんでいるのは、筋トレが「努力が報われる」ものだと知ってしまったからなのだと思います。
 もちろん性別や年齢にも左右されるでしょうが、確かに筋トレは「努力が報われる」面が大いにあります。
 最初こそ、とにかくつらいですし、体形も目に見えて変わりません。最初の一月は「辛いばっかりだし、脂肪は減らないし、それどころか体が痛い!」みたいな状態なのですが、ひと月からふた月くらい経つと同じメニューでは楽になってきて、汗も多量にかくようになってきます。そして、気が付けば脂肪が少しずつ落ち、鍛えている個所も一回りほど筋肉が太くなっています。
 最初の一か月こそ何も変化がありませんが、「確実に努力が報われる」数少ない趣味が筋トレなんだと思い知ったわけなのです。正確には、筋トレは先達の優れた研究により結果に結びつく道筋が出来上がっており、努力が報われやすい体系が作り上げられているのではないかとわたしはニラんでいます。

 わたしは常々、「努力は報われないことのほうが多い」と思っています。
 まず、いくら努力をしたところで明後日の方向に向いていてはだめでしょうし(西に行きたいのに、南東に向けて自転車を漕いでも仕方ないのと同じこと)、努力の方向性が合っていても適切な方法を確立しないと途中で挫折してしまいます(目的地の途中に深い川が流れているのに自転車だけで通ろうとするようなものです)。そうして適切に努力をしてすら、場合によれば目的地に到着できないこともある、それがこの世界の残酷な一面だと思っています。
 だからこそ、努力が報われるというのはある種の奇跡、ご褒美なんだな、と常々思うのです。

 とはいえ、「じゃあ努力なんかしない」なんていうのもどうかなと思うんですよね。
 それはまるで降ってくる雨を待つばかりになってしまって、自らピクリとも移動できなくなってしまいます。望む場所に向かうためには、まずは自ら足を踏み出さねばなりません。

 なんというか、努力する、ということは、「それが無駄な投資であるかもしれない」可能性を受け止めながら、それでも自分の望む姿を得るためにやるものなんじゃあるめえか、というのがわたしの今の思いです。

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