【拡散希望です】新刊『奇説無惨絵条々』(文藝春秋)の書き下ろし冒頭部分公開!

 「奇説無惨絵条々」(文藝春秋)、各書店様、WEB書店様などで好評予約中です。

 さて、『奇説無惨絵条々』に関するプロモーションの第一回目は、まさかの本文冒頭部分の先行公開です。
 オール讀物誌上に公開された短編ではなく、単行本化に当たっての書き下ろし部分の一部です。
 この部分をお読みいただけますと、わたしが『奇説無惨絵条々』で何がしたいのか、見えてくるかもしれません。ということで、よろしかったらお読みください。
【注意】以下のテキストの著作権は谷津矢車、出版権は文藝春秋が有しております。勝手な複製、頒布、販売は固く禁止いたします。また、製品版とは微妙な違いがあります点、ご容赦ください。


 ガス灯が並ぶ目抜き通りには、多くの馬車や人力車が行き交っていた。
 街路を行く人々は、トンビの襟を立て、冷たい風にはためく首元を押さえて大足で道を急いでいる。
 背を丸めながら道の端を歩く幾次郎は、ふと空を見上げた。ガス灯を縫うように伸びる電信のケーブルが、まるで蜘蛛の糸のように張り巡らされ、空を覆い尽くす。煉瓦造りの背の高い建物は、行き交う者に威圧を与えようとしているかのように聳そびえ立っている。
 文明開化の頃から十数年に亘わたって新しん橋ばしの街を眺め続けていたことになる。江戸の昔は遠き夢、明治の聖代も二十三年を数えてみれば、かつての八百八町の姿を見出すことは難しい。
 一本辻を曲がった。西欧化の波はひたひたと広がっている。最初は目抜き通りだけだったものが、少しずつ、黴かびのように広がり始め、今では町全体が煉瓦色に染まっている。
 深くため息をつきながら道を行くうち、洋服屋のショウウインドウの前に差し掛かった。変わり映えのしない羊毛の黒チョッキに同じくズボン、古ぼけた革靴という、無理して当世風に背伸びした、疲れた中年の姿がガラスに映り込んでいる。
 街が変われば人も変わる。鯔いな背せ な紗しゃの黒羽織に糸染めの青紬つむぎ姿で、日に本ほん橋ばし界隈を肩で風切って闊歩していたかつての己の姿を思い出しながら、幾次郎はガラスに映るくたびれた中年の己が姿を睨んだ。
「落合芳幾の名が、泣いてらあな」
 己の画名を口にするのも久しぶりで、飛び出した言葉は掠かすれていた。
 幾次郎はかつて、落合芳幾の名前で浮世絵を描いていた。弟弟子の月岡芳年としや別門の豊原国周と人気を三分したほどの当代一流の絵師で、影だけで役者を表現する姿絵や、凄惨な場面を材に取ってふんだんに赤を使う無惨絵を得意にしていたが、由あって絵師の道から離れ、煉瓦街に変貌した銀座の片隅で働いている。今でも絵師としての引きがないわけではないが、多忙を言い訳に版元からの仕事は断っている。
 今も夢を見ることがある。日本橋にあった国芳塾で兄弟弟子たちに揉まれながら絵をひたすら描いていた日々を。金もなかったし時もなかった。毎日のように版元から絵を催促される日々だったが、あの頃は生きているという実感があった。
 幾次郎は、似非開化人になりさがっている己の鏡像から視線を外して先を急いだ。
 新橋の外れ、目抜き通りから五つほど辻を隔てた町の隅に、その建物は息をひそめるようにして建っていた。
 赤茶煉瓦造り、二階建の三間間口、大きく開かれた二階の窓の下に″明治堂〟と大書された扁額のような看板が目立っている。看板の下には洋式のドアが一つあり、そのドアを挟むように、二つの大きな洋式窓が配されている。ノブに手をかけると、軋み音を立てながら内開きのドアが開いた。
 昼間だというのに中は薄暗い。部屋いっぱいに漂う古紙とインク、染料の香りが迫ってきた。これを悪臭だという者があるが、幾次郎からすれば懐かしい香り、好ましい香りだ。酸っぱいような甘いような香りをしばし楽しんでいるうちに、目が慣れて中の様子が浮かび上がってきた。左右の壁には西洋式の本棚が並び、革装の洋書が整然と差してある。黒、赤、茶の背表紙に浮かぶ金文字のタイトルは、まるで蚯蚓がのたくったような字をしており、何が書いてあるのか、幾次郎には判然としない。三面を本棚で囲まれた部屋の真ん中にはランプの乗った丸テーブルが置かれ、四脚の背もたれ付きの革張り椅子が主人の傍を離れない忠犬のように寄り添っていた。
「こんにちは、幾次郎です」
 誰もいない店の中に声を掛けると、奥で何かが動く気配があった。
「おお、よく来たね」
 暗がりから腰の曲がった老人が現れた。顔立ちは柔和で人の良さそうな笑みを湛たたえている。これで屋号付きの羽織に着物だったならどこかの魚問屋の旦那という風情だが、目の前の老人は、仕立てはいいものの少し古びた白シャツと茶のズボンを着こなし、首にはタイまで締めている。足元は黒の革靴だ。
 のそのそとした足取りで幾次郎の許までやってきた老人に勧められるまま、幾次郎は丸テーブル前の革椅子に腰を掛けた。ぎし、と椅子の足が悲鳴を上げている間に、目の前の老人は難儀そうに丸テーブルを挟んだ差し向かいの椅子に腰を掛け、テーブルの上のランプに火を灯ともした。おかげで、ようやく部屋の中の闇が払われた。
「いや、ここんところ寒くてね、表にいるのが厭になっちまうんだ」
 外見とは裏腹に、男はちゃきちゃきの江戸言葉を遣った。開花からこのかた、東京と名を改めたこの町で江戸言葉を遣う人間は少なくなった。
 底冷えのする寒さに、思わず幾次郎は体を震わせた。この場所は、三和土の上に板敷きをしただけのようである上、暖房器具も置いていない。ただ、南向きに開いている窓から差し込む日の光だけが唯一の熱源らしい。
 老人は三面に広がる本棚を見渡した。
「すまないねえ。うちの子供たちを火に晒さらすわけにはいかないからね」
 言葉の割に、老人の声音には悪びれたふうもない。愛おしげに本の背表紙を見遣やっている。
 相変わらずだねえ――。幾次郎は心中で呟いた。
 目の前の老人、清兵衛は、元は書物問屋や の国書堂どうを開いていた。書物問屋というのは儒学書や学術書を扱う版元のことだが、実際のところ、国書堂は地本問屋 が扱うような狂歌絵本や戯作の類も手広く扱う、雑然とした商いの店だった。だが、明治の御一新を機に問屋業を廃業し、横浜で洋書を買い入れて販売するという古本業に鞍替えした。明治の聖代が西洋文明摂取の時代になるだろうという読みが当たり、今では本郷の帝国大学の学者たちに洋書を売りつけて儲けているらしく、本郷にも店を構えている。
 書物問屋時代から付き合いがある幾次郎は、清兵衛の本への接し方をよく知っている。
 決して本を粗略にすることがない。どんな粗雑な刷りの本であっても割れ物を扱うように触れ、嫁に行く娘に化粧を施す母親のようにはたきをかけて回っている。本の為に寒さを我慢するというのは、さもあらん、である。
「で」清兵衛は目を光らせた。「今日はどうしたんだい、幾次郎。なんか困ったことでもあったかい」
「ええ、ちょいと清兵衛の旦那にお願いしたいことがあるんですよ」
「なんだい」
 促しのままに、幾次郎は口を開いた。
「実は、黙阿弥先生から頼まれちまいまして」
「黙阿弥先生……。おやおや、おめえ、今、芝居小屋に世話になってるのかい」
「違いますよ。ご存じでしょ、俺が今、どこにいるのかなんて」
「そうだったかね」
 にやにやと清兵衛は相好を崩している。話を混ぜ返しているのが見え見えだった。
 幾次郎は今、歌舞伎新報社というところにいる。
 絵師時代の伝手で歌舞伎界隈と縁が深かった。それに、東京初の日刊新聞事業である東京日日新聞の立ち上げにも加わった経歴も手伝い、明治十年代半ばに歌舞伎専門の新聞社を設立する動きが起こった時、幾次郎は記者兼経営顧問格として招聘された。
 先に話が出た黙阿弥というのは、歌舞伎界ではこの人ありとまで謳われている狂言作者で、幕末期から今に至るまで、ずっと第一線で台本を書き続けている。河竹新七というそこまで大きくなかった名跡を押し上げたのも黙阿弥だ。明治十四年、引退を宣言し、明治十七年に新七の名を弟子に譲ってからは、〝古河黙阿弥〟〝河竹黙阿弥〟などと名乗り、引き続き新作を何枚も書き上げている。
「で、その黙阿弥さんがどうしたってんだい」
「実は、歌舞伎新報社の目玉に、黙阿弥先生の書き下ろし台本を載せることになっているんですがね。いや、そのう……」
「ははーん、なるほど。黙阿弥先生が一行も書いてくれねえってあたりかね」
「御明察の通りで」
 一般の新聞が歌舞伎の評判記を載せるようになり、これが人気を得たことで、唯一の歌舞伎専門誌である歌舞伎新報は差別化のためにも芝居の筋書の掲載に乗り出すこととなった。だが、まともに芝居小屋の反撥を喰らうことになった。
『上演中の台本を公開されちゃ、商売あがったりだよ』
 他社新聞とは違い、歌舞伎新報社は芝居小屋と縁が深いゆえ、小屋の意向を無視するわけにはいかない。しかし、人気記事となった筋書の掲載はしたい。そんなせめぎあいに社内が苦しむ中、幾次郎はある提案をした。
『なら、作者さんに台本を書き下ろしてもらっちゃどうですかい』
 まだ芝居に掛かっていない新作なら、小屋の意向など関係ない。だが、今度は別の疑問が持ち上がった。上演されてもいない芝居の台本を誰が喜ぶのか?
 だったら、と幾次郎は矢継ぎ早に続けた。
『人気者の先生にお願いすりゃいい。たとえば、黙阿弥先生とか』
 かくして、河竹黙阿弥に書き下ろし台本の仕事を発注したのだが――。
 そもそも黙阿弥は忙しい。芝居小屋付きではなく、自由な立場で様々な小屋からの依頼を受けて台本を書く黙阿弥は、数年後まで約束で埋まっているという。幾次郎は歌舞伎新報の編集人として、何度も黙阿弥にせっついているものの、待てど暮らせど台本が上がってこない。幾度となく本ほん所じょの屋敷に催促に訪ねるうちに機嫌を損ねてしまったらしい。
『ぴいぴいうるさい奴だね。書いてほしいってんなら、何かいいネタを持ってきておくれよ。あたしがびっくりして目が覚めるようなやつだ』
 と門前払いされ、幾次郎はこうして明治堂の清兵衛の許を訪ねたのである。
「ははあ、あの先生らしからぬ物言いだね。よっぽど切羽詰まっているものと見える」
 くつくつと清兵衛は笑う。
「いやはや、追いつめちまったのはこっちなんで、ほとほと困っちまって」
「でも、真面目だねえ、幾の字は。正面から黙阿弥先生のご希望に沿おうってんだから」
「俺ごときの接待じゃ、あの人は転びませんからね」
 日本橋生まれの元座付き狂言作者となれば酒宴には事欠かなかったはずだし、幾次郎などよりよほど気の利いた小料理屋を知っている。慣れぬ接待では鼻で笑われるのがおちだ。だったら、黙阿弥をぎゃふんと言わせるようなネタを持って行って、「お約束通り書いてくださいな」と催促する方がよほどすっきりといく。
「清兵衛さんは黙阿弥先生とは長い付き合いじゃないですか。先生の喜びそうなものもお分かりになると思って」
「おいおい、おめえだって先生とは長いだろう」
「知っているんですよ。清兵衛さんが、ずっと黙阿弥先生のネタ元だってことくらい」
 清兵衛の顔が一瞬だけ強張った。人の良さそうな顔が束の間無に変じ、仮面をかぶり直すように、また元の表情に戻った。
「買いかぶりってもんだ。あたしは、昔は版元、今は食い詰めて古本屋に転じただけの素人だよ」
「けど、旦那の選書眼は正しいはずだ」
 絵師にとって実物の写生が大事であるように、良いネタは作者にとっての命綱らしい。だからこそ作者はネタ元を隠すものだが、黙阿弥はあまりにも巨人であるがゆえ、隠し事などできない。清兵衛が黙阿弥のネタ元というのはもはや公然の秘密であり、ここのところ黙阿弥があまりに忙しく、清兵衛の許に顔を出していないことも筒抜けになっている。
「清兵衛さん、あの人をやる気にさせるネタを俺に授けちゃくれないかい。黙阿弥先生が書いてくれないことには困っちまうんだよ、この通りだ」
 神様、仏様、清兵衛様。手を合わせて幾次郎が頭を下げると、ふう、という短いため息が部屋に満ちた。
「いいでしょう。ま、これも商いってやつだ。手伝おう」
「本当ですかい」
「おめえとも付き合いが長いからね。元版元として、借りを作っておきたいってのもある」
 言葉に皮肉の色が混じっているように思えたのは、気のせいであったろうか。そんな疑問に苛なまれる幾次郎を尻目に清兵衛は椅子から立ち上がり、のろのろと奥へ消えていった。しばし待っていると、清兵衛は一冊の本を携たずさえ、奥の暗がりから姿を現した。
「待たせたね」
 また元の椅子に腰かけた清兵衛は、一冊の本をテーブルの上に置き、幾次郎の前に押しやった。
「こいつはどうだい」
 目の前の本は、いわゆる黄表紙といわれる戯作だった。この部屋の本棚一杯に並ぶ洋書のように、いつまでも残って欲しいという作り手たちの願いは感じられず、ただ、その場限りの娯楽、読み捨てされるものと割り切って作られているのが見て取れる。
「これは?」
「戯作だよ。読んで御覧な。きっと、黙阿弥先生も喜ぶはずだ」
「それにしても清兵衛さん、今でも戯作も扱ってるのかよ」
 煉瓦造りの二階建、外れとはいえ文明開化の中心地である新橋にある古書店で商うようなものとは思えなかった。だが、洋服に身を包む清兵衛は、にこりと微笑んだまま微動だにしなかった。
「まあ、昔取った杵柄さね。表向きは洋書の買いつけを商売の柱にしちゃいるが、今でも古本の形で戯作も扱っているのさ」
「ありがとよ、清兵衛さん」
 懐に戯作を収めようとしたその時、清兵衛から制止の声が上がった。
「おいおい、読まずに受け取るつもりかい」
「は、何言ってるんだい。俺の仕事はあくまで黙阿弥先生にいいネタを渡すことなんだぜ。読まなくたって構いやしないよ」
「そいつはいけないよ。黙阿弥先生がそんなんで納得すると思うのかい。もしあたしが黙阿弥先生だったら、〝読みもしねえ本の真価が分かるのか、大した千里眼だな〟くらいの皮肉は言うよ」
 身振り手振りを交え、いかめしい顔を張り付け、声を低くして黙阿弥の真似をした清兵衛を前に、思わず幾次郎は身震いをした。
「確かに、清兵衛さんの言うとおりだ」
「だろう」
 顔を近づけ、にこりと相好を崩す清兵衛の顔が、なぜか黙阿弥のそれと重なった。目をしばたたかせる幾次郎をよそに、また立ち上がった清兵衛は続けた。
「そんなに長くないからすぐに読み切れるだろう。読んでる間に別の本も探しておいてやるから、ここで目を通しちまいなよ。んじゃ、あたしは奥にいるから、何かあったら呼んでくんな」
 そう言い残すや、清兵衛は奥の暗がりの中に消えた。
 一人、本棚に囲まれた部屋の中に残された幾次郎は、手に持ったままの黄表紙をまじまじと見据えた。荒波に挑む船に乗った男と女を描き出している表紙絵は、輪郭線が歪んでいる。元々版がよくないのか、大量に刷って木版がへたれたのか、そのどちらかだ。裏返して奥付を見ても、聞いたことのない版元の名前が付されている。一見したところでは、かつて粗製乱造と揶揄されるほど出された黄表紙の一冊、という見てくれだった。もし版元の店先にあっても、手にも取らずに視線を外す類のものだ。
 こんな本に価値などあるのだろうか。だが、あの黙阿弥が頼りにする清兵衛が選び取った本だ。何かあるに違いない。そう自らに言い聞かせ、ゆっくりと表紙を開いた。


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