「戯作者」という自称の理由

 WEB新連載の「桔梗の人」よろしくお願いいたします! と共に、2019年2月新刊の「奇説無惨絵条々」(文藝春秋)と文庫化「曽呂利」(実業之日本社)もよろしくお願いいたします。

 あんまり知られていませんが、わたしは「戯作者」と名乗っています。もっとも、あくまで公的な場では「小説家」という肩書を使っていますが、もし、自分で肩書を選べるのなら、わたしは「戯作者」です。
 それが証拠に……。

 ほらね。Twitterでは「戯作者」なんですよ。

 なぜ戯作者かというといろんな理由があるのですが(実はわたしの家の家紋が曲亭馬琴さんと一緒で、馬琴さんにあやかっている面がある……でも馬琴さんは「小説家」を名乗っているというこのねじれ現象は如何に)、いちばんは、「小説」という己が身を置いているジャンルを外からも眺める視点が欲しい、それゆえのことです。

 ちょっとおさらいすると、わたしが今身を置いている「小説」という場は、西洋から輸入されたnovelに多大な影響を受けています。その後、様々な先人たちによりジャパナイズされつつ、波状にやってきた「世界の新思潮」を受け止めつつも展開してきたわけです。
 わたしは今の「小説」に寄り掛かった存在ですが、一方で今の「小説」を疑う視線も残しておきたい。というわけで、「戯作者」と名乗っているのですね。

 実は、二月末刊行の「奇説無惨絵条々」(文藝春秋)はまさにそんな話です。 
 「小説」とはなんだろう、「物語」とは。
 そんな問いかけをした一冊になってます。
 まだお話しできることはこれくらいしかありませんが、何卒ご期待ください!

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