「『奇説無惨絵条々』の世界」第1回、「明治20年代という時代」
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水曜日と日曜日に更新予定の「『奇説無惨絵条々』の世界」へようこそ。
はい、こちらの企画はですね、「いや谷津さん、いうても『奇説無惨絵条々』の扱っている世界って読者さんになじみがないと思うんですよね」という文春さんのツッコミに応えて二か月ほど展開することになってます。というわけで、週二回×八週、全十六回にわたってやっていきますので、何卒よろしくお願いいたしますね。
まず、第一回目ということで、幕間の時代設定である明治二十年代について、です。
あんまり明言していませんが、幕間の時代設定は明治22年~23年の冬から春にかけてをイメージしています。
明治22年といえば大日本帝国憲法の公布があったり、日本初の近代的国語辞典とされる「言海」が発刊されたりした年です。大日本帝国憲法、と聞けば、よく教科書に掲載されている式典の図が思い浮かぶ方も多いでしょう。まさに文明開化が爛熟に至ろうとしていた……。教科書からはそんな印象を受けます。
けれど、それは一面的な理解と言えましょう。
明治二十年代が文明開化を享受していた時代であるのは確かですが、決して社会全体を覆うものではありませんでした。当時の新聞に付された挿絵や残っている写真などを見るに、結構庶民は和服で出歩いていたことが分かりますし、生活様式もそこまで大きく江戸時代と変わるものではなかったといえます。
明治二十年代は、東京の一部が欧化してショーウィンドウ化していただけで、実際には江戸と何ら変わらぬ町並みが広がっていた、とすらいえるかもしれません。
これはよくわたしが申しあげていることなのですが――。元号が変わったからといって、いきなり次の時代に遷移するなんてことはありえません。グラデーションのように、前時代から次の時代へと移り変わっていき、気づけば新時代の様式になっている……というのが、時代の変化というものでしょう。
ほら、今でこそスマホが全盛ですが、ふた昔前はガラケーとスマホの台数が拮抗していた時代がありましたよね。やがてスマホのシェア拡大、ガラケーの縮小を経て今に至る、みたいな漸進的変化は歴史上枚挙にいとまがないくらい起こっているんです。
言うなれば、明治二十年代は「近世から近代への過渡期」、もっと踏み込んだことを言えば、「江戸時代的な空気を残している近代」と言えるのではないかと思います。
この時代が興味深いと感じるのは、わたしだけでしょうか。
並置されている古い存在と新しい存在の激しいぶつかり合いを観測することができますし、何よりドラマチックな人生を垣間見ることもできます。当事者からしたらたまったもんじゃないでしょうけど、現代も恐らく次の時代への過渡期なんじゃないか臭がぷんぷんしており、根本的な部分で現代とよく似ている気もします。
たぶん、庶民からすれば、しんどいばっかりだったんじゃないかなあと同情はしちゃいますが――。どうもわたしは明治二十年代という時代に、同病相憐れむ、と言ったらいいのか、妙な親近感を覚えているのです。
というわけで、次回に続く。
いつもお世話になっているくまざわ書店南千住店様が『奇説無惨絵条々』を大展開してくださっています。ありがとうございます!
文春の営業さんが作ってくださったポップも初お目見えです。
この書影にピンときたらお買い上げのほどを!
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