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小説を書くということをこんなにもお勧めしているのは

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 先に書いておきます。
 このエントリ、天狼院書店さんで七月から開催される初心者さん向け小説執筆ゼミの集中講座の宣伝になりかねない要素を大いに含んでいます。

 なぜ先に釘を刺しておくかというと、これからする話を小説講座の講師をやっている立場で口にすることは、ある種の利益誘導になりかねないからです。つまるところ、ステルスマーケティングになっちゃうわけです。でも、こうして最初から利害関係者だよ、と話しておけば、普通のマーケティングになるので、何ら後ろめたい話はありません、という寸法です。

 閑話休題。

 わたしは天狼院書店さんの短編講座を通じ、「小説を書くという趣味」の啓蒙活動を行なっています。
 今でも大なり小なりそうかもしれませんが、わたしが小説を書き始めた中学生くらいの時分は、「小説を書く=プロ作家志望」でした。そりゃそうで、基本的に書いた小説を発表する場は限られていました。その地域、その地域の文芸サークルの同人誌、懸賞記事などのほかには自らの小説を世間に披露する場は存在せず、小説を広く見てもらうためには出版社から本を出してもらう=小説家デビューするしか道はなかったのです。
 ところが、わたしが高校生から大学生くらいになると事情が大きく変わります。インターネットの発達に伴い、建前上は世界中に自分のテキストを発表できることになったのですね(もっとも、インターネットに放ったテキストは世界中誰でも見ることのできるという言説は原理的には正しいのですがある意味で不正確で、多くのテキストは膨大なデータの山に埋もれて結局多くの方の目に触れずに終わることのほうが多いのですが)。そして、気づけば小説を書きたい人のためのプラットフォームが出来上がったり、小説を趣味にする人たちの交流が深まりました。その結果、

 「小説を書く」行為の多様化 

 が起こりました。
 もちろん、以前のようにプロ志望の方もいます。けれど、中には自己承認欲求を満たすためであったり、同好の士とのやり取りのためだったり、暇つぶしの為だったりと、様々な目的意識を持って小説を書く人々が顕在化、活発化したのです。
 インターネット革命が、小説を書くという行為をよりポピュラーな趣味へと押し上げたのです。

 わたしも、「趣味化した」小説の時代に小説家になりました。
 わたしは日本最大手の小説投稿サイト「小説家になろう」の出身者です。最初はわたしも一人の趣味人として「小説家になろう」で投稿をはじめ、趣味が嵩じて送った文芸賞で優秀賞をいただき、あれやこれやでデビューして専業になって今に至っています。「小説家になろう」に身を寄せた大学時代、まさかその十年後に自分が専業作家になっているとは思ってもいなかったでしょう。
 そんな立場であるからこそ、「趣味としての小説」の輝かしさ、美しさを知っているつもりです。そして、仕事にしてもなお、こんなにも楽しい世界があるのだということも。

 小説を書くという趣味には答えはありません。
 今、わたしも含め、小説を書いているすべてのプロ、あるいは趣味人たちが、誰も到達したことのない頂を目指してキーボードを叩いています。あるいは、頂なんて存在せず、歩いてきた道と、五メートル先の地面しか、目に入らないのかもしれません。
 でも、すごく楽しいんですよね。
 誰も持たない答え。
 自分一人にしか到達できない世界。
 自分だけが知っている秘密。
 小説を書くという行ないには、自分がそこに立っている理由が確かにあります。
 自ら書いている小説の世界と並走し続けている限り、誰しもが主役になれるのが、小説を書くという行ないなのです。

 わたしが皆さんに「小説を書いたらいいんじゃない」とお勧めするのは、ざっとこうした理由です。

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