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「変な人」にあこがれる「普通の人」なんだなあ

コルクラボで「自分って普通だなあと思うことってなに?」というお題が出た。

「普通」の反対は、「変わってる」「変」「個性的」というところだろうか。

個性的なキャラクターが多いファンタジー小説が大好きだった私は、「変わってる」「変」な人にあこがれるフシがある。

高校時代に演劇の脚本を書いていたのだが、キャラが濃い登場人物は物語に味を出してくれるし、見ている人にも愛されるからいいよなあ、自分も本当はそうなりたいなあ、って思っていた。

けれども哀しいかな、私は至って「普通」の人だ。

「変」にもいろいろあるけれど、私が特にあこがれる「変な人」は、突拍子もないことをやる人、怖気づかずにガンガン挑戦して周りを驚かせちゃうような人。

あこがれてるから、私もそういう変な人の「フリ」をしたりするんだけど、本当は自分がふつーだって、自分が1番気づいてる。

なぜかというと私は、「ふつーに怖がり」だからだ。

まず、歯医者がこわい。この前親知らずを初めて抜いたのだけど、平気なふりを装いつつも、手がフルフルするくらい怖かった。BGMに流れていたディズニーメドレーを心の中で熱唱して気を紛らわせながら、あー自分ふつーだなって失望していた。

自然災害や戦争、テロや貧困などもこわい。学ぶほどに怖くなって、たまに夢に見る。

人に嫌われることも怒られることも、失敗することも本当はこわい。

それでも私は、どちらかというと新しいことにすぐ飛び込んでみるし、失敗しそうなこともまずやってみるほうだ。

それはひとえに怖さよりも好奇心が上回るからであって、怖くないわけではない。

怖いけどもっと知りたい、やってみたい、見てみたい、考えたい、そしたら気が付いたら動いてた!みたいな、そういう感じ。

とはいえ、怖さがストッパーをかけて挑戦できていないこともたくさん、本当にたくさんある。

すぐに「できない理由」を見つけてしまう自分がいるし、人の目を気にしてしまう自分もいる。

本当はルフィみたいに怖いもの知らずのスーパーポジティブでいたいし、ホグワーツでは絶対にグリフィンドールに入りたいんだけど、なかなか叶わないであろう自分のことが、なんとも残念である。

#コルクラボ #コルクラボガーデン #ひとりごと

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