#エッセイ『寄り添う心2』

 今から一年ちょっと前に『寄り添う心』という題でエッセイを書きました。それは孤児について書いたものです。その昔学生時代にテレビで見た特集が忘れられないといった内容で、時折その番組の内容を思い出すという事を書きました。“世の中の孤児の子供たちをどうにかしてあげたいという思う気持ちは今でもあるのですが、今の自分には里親をやるという勇気は持てない”という自分の気持ちを書いた記憶があります。その心境は今現在でも変わらないです。
 日常の生活において毎日その事を考えているという訳では無いので、普段の生活では目の前の仕事を夢中でしているのですが、先日会社の中である人と会って思わず心を揺さぶられてしまうという事がありました。実の事を言うと、僕は年末の社内の人事異動で、年明けから新しい部署に転勤をしました。新しい上司はKさんという方です。一応直属の上司ではあるのですが、僕は新しい上司であるKさんのいるオフィスとは別の地域で働く事になったので普段は一緒に働くとこは無い上司です。辞令の内示が出た次の日にまずはKさんのいる事務所に出向いて初めのて顔合わせをしました。このKさんとは昔から面識はあったのですが、仕事を一緒にするのは初めてです。初日の顔合わせではまず前任者からの引継の手順と、新しく行く職場の状況など仕事上の話をしていたのですが、時間が経つにつれて段々と話は仕事から逸れていき、その流れで昼食を一緒に食べることになりました。
 会社の近くにある定食屋に行き、他愛のない会話をしていたのですが、そこでKさんの家族の話になりました。現在は三人のお子さんがいるとのことで、僕の記憶では確か二人だったような気がしたので、
『あ、そうなんですか。三人目のお子さんが出来たのですか。賑やかでいいですね。確か上の二人のお子さんはそれなりに大きくなられていると思うのですが、一番下のお子さんはお幾つなんですか?』
と尋ねました。Kさんもあと数年で定年を迎えるから、チョッとした興味本位もあって質問をしたのです。現代の日本では晩婚化が進んでいますので、定年を迎えてもお子さんが二十歳にならない人も多いという話はチラホラ耳にしていたので、“もしそのお子さんが小さければどうする気なのだろう?”と考えようによっては意地悪な事を聞いてみたいという思いで尋ねてみました。するとKさんは
『一番上はもう二十歳過ぎで、真ん中は来年高校卒業だ。んで、一番下は今年四歳』
と言ったとたん、僕は思わず
『え?』と聞き返してしまいました。最近の世の中は晩婚化ですので、歳の割に子供が小さいという事はそこまで不思議な話では無いですが、上の二人のお子さんとの歳の差が結構あるのでつい驚いてしまったのです。そして“えっ!”と言ったっきり絶句していると(それもそれで失礼なんですが‥(笑))
『一番下の子は男の子で里子だよ!』
と言ったのです。そして思わず『えっ!』と二度ビックリしました。人は見かけによらないと思った瞬間でした。
 思い返せばKさんは昔から見た目は少しイカツイのですが、話せばよく笑うし面倒見もいいとは思っていたのですが、でもまさか里親をやるような人とは思っていませんでした。お茶碗とお箸を持ったままKさんをまじまじと見つめて、思わず一言
『偉いですね・・・』
と呟くように言ってしまいました。Kさんはチョット照れたのか
『んなことねーよ!』
と作り笑いをしながら言っていました。その後にどのような経緯でKさんが里親になったのかを訪ねたのです。

 どうやらKさんの話によると、里親になりたいと言い出したのは奥さんの方だったようです。奥さんから話を持ちかけられてその場で快諾をしたとのことでした。そして里親になると決めたら、役所に行って色々な手続きや何時間も講習を受けたりと結構大変らしく、何だかんだと大変だったという事をサラッと言っていました。どうやらKさんが迎えたその子には本当の両親がちゃんといるそうですが、色々な事情があったようで自分の子を養護施設に預けることになったようです。その子も子供なりに何となく事情は理解しているそうです。Kさんはその男の子と養子縁組をして、男の子の名字を自分の名字に変えて、その子が十八歳になるまでKさんの元で育てていくそうです。『この間も幼稚園の発表会に行って三人で手をつないで帰った』と言っていました。そしてその帰り道の途中で奥さんと『俺たちが一番の歳食った親だったな!』と笑いながら帰ったそうです。
 僕に言わせてもらえば親が歳を食っているなんてどうでもよくて、その子が楽しく、他の家の子と同じ様に過ごせているという事が何よりのいい話であると思ってしまうのです。大切に育ててくれる両親と、毎日の温かいご飯、そして温かいお布団と兄弟たち・・。それらをちゃんと揃えてあげられれば十分幸せなんです。今の僕たちの国は決して景気がいいとはいえませんが、それでも多くの人はそれなりに豊かな暮らしを営んでいます。多少の差があっても、普通の家の子と同じように普通の生活がどの子にも当たり前のようにあって欲しいと思わず祈ってしまうのです。その子は毎日幼稚園から帰ると、園で覚えた歌やお遊戯などをしていたりするそうです。Kさんは毎晩目を細めてそれを見ながらお酒を傾けているそうです。それはそれでまた一つの幸せ。

 今回、僕は初めて里親をしているという人に初めて出会ったのですが、その里親をしているKさんという方はごく普通の人です。そんなごく普通の人にとって五十を過ぎてからまた子供を育てるという事が経済的な負担と、年齢的かつ体力的な負担を考えると、ある意味いかに大変かと考えてしまうのです。そうするとその行為がいかに素晴らしい事であるかと思ってしまうのです。でもKさんはそんな事は全く思っていないようです。最初に奥さんから里子の話を切り出されたときにKさんが心の中でどう思ったかは分かりませんし、その時の夫婦での話し合いがどうであったのかも分かりません。ただ、Kさんの目の前に現れた一人の幼い子供に未来の明るい可能性を開いてあげているという所が何とも言えず素敵だと思うのです。そしてKさんは、里子として招き入れたその男の子との生活を純粋に楽しんでいます。“里親になる”という事は、その言葉のニュアンスとして“善い行い”と“人助け”という意味合いが暗々裏の内に込められている様に感じますが、おそらくは里親になるような人はそんな事は考えていないのではないかと思うのです。多くの場合は子供を授からなかった夫婦が子供を持つという事を目的にしているのかな?と思うのですが、それぞれの夫婦で里子を迎える事について、今回出会ったKさんも、またかつてテレビの中で見た里親夫婦も最初の目的がどうであれ、その子供との生活を十二分に堪能して、幸せを噛みしめているのです。他者の為に何かをするというのは人としての基本的な喜びですが、今回は里親になるという話で人としての喜びを噛みしめているという事を目の当たりにして、僕は心を撃ち抜かれた気がしました。

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