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自己否定をやめたいなら「直感」に従ってはいけないのではないか

今回のポストは、こちらでも書いた「土グループ」関連のお話になります。人によって「ものすごくわかる」か「全然意味がわからない」に分かれると思いますが、よろしければ一読していって下さい。


自分にポジティブな言葉をかけるというメソッドがあるが・・・

よく自己肯定感を上げる方法として「自分にポジティブな言葉をかけましょう」という方法を目にします。

  • 「頭の中の言葉」をポジティブな言葉にしましょう

  • 自分に否定的な言葉をかけないようにしましょう

  • 行動を抑制するような言葉ではなく、行動を促す言葉をかけましょう

  • 物事のポジティブな側面を見るようにしましょう

などというもので、「言葉で考えや感情を作る」という脳の作用を利用し、自分にポジティブな言葉で暗示をかけよう、という方法とのことです。調べると、そういう主旨のメソッドがたくさん出てきます。

暗示をかける、という怪しさはあるものの(自己肯定感は暗示では上がらないと思うが)、私も自己否定的な言葉を自分にかけるのは反対なので、ポジティブな言葉を自分にかけるのが良い、という意見には賛成です。

2023年の大晦日には、こんな記事を書いています。

自分のOSが、ポジティブな言葉を信じさせてくれない

ただ、私にとって、そういうメソッドは難しいと感じてしまいます。というのが、私の生きている世界観の中では、そういうポジティブな言葉が信じられないのです。

私の生きている世界観とは、つまり自分が、自分や他人や世界を、どのようなものとして捉えているか(=自分のOSの設定はどういうものか)、ということです。

そして私には、どうやら以下のような「自分のOSの設定」があるようで、それが私を動かしているようなのです。

・自分は、自分自身で物事を決めたりしてはいけないし
・人がやっているような楽しいことをやることはできない
そのように決まっている

バカバカしいと思うかもしれませんが、これがどうやら私の基本的なOSになっていて、そのOSの下で「信念」とか「思考」や「言葉」、「対人関係」や「仕事観」などが走っているようなのです。

なので、そのOSに沿っていない(と感じる)ポジティブな言葉には嘘くささを感じてしまい、ポジティブな効果を感じられないのです。

例えば、「なんとかなる!」「私は運がいい!」「がんばったね!」といったポジティブな言葉などは、そのままの意味ではなく

なんとかなる! → うまくいかないことが決まっている
私は運がいい → そのうちに悪いことが起きてチャラになるから調子に乗ってはいけない!
がんばったね! → できていないのにごまかすな!

というように脳内変換されてしまいます。
まるで「脳内検閲官」によって、しっかりと見張られ、押さえつけられているような感じです。

そういう、常に見張りがいる、「私はポジティブなことを許されていない」という感覚があるために、表面上でポジティブな言葉を言ったところで、「私にはその資格がないのだから」とことん意味がないと感じられるし、何だったら怒りさえ湧いてくるのです。

本当に、自分でも自分のことが厄介だなと思います。

自分のOSは間違っていると、せめて頭で理解する

もしこうした自己否定をやめていこうとするならば、自分を動かしているOSがある、ということをまず理解し、それを前提に働きかけないといけないのです。

私のように、「自分はこういう人間だから」とか「自分には許されていないから」という感覚を持っている人は、ポジティブな言葉だけを表面上なぞってかけようとしてもうまくいきません。なぜなら、脳内検閲官に押さえつけられてしまうからです。

まず、いくつかの下ごしらえとして「頭で理解する」ことがあります。

  1. 自分が信じる世界が間違っていると頭で理解する

  2. 感情的な抵抗感が起こることを理解する

ということです。自分が正しいと直感的に信じているOSが、実は間違っているのだと頭で理解することです。この時点では身体的な腹落ちはないと思いますが、頭でわかる(わかろうとする)ことが重要です。

そして次に覚悟することは、何かポジティブな声を自分にかけたり、ポジティブなことを考えようとする、そのときに、「直感的に感じる、感情的な抵抗感」があるということです。

そしてそれに従ってはいけない、ということです。

自分にとって「正しく感じる直感」に従わない

この「直感的に感じる、感情的な抵抗感」は、自分にとってはものすごく正しいものです。いくら頭でわかっていても、OSの力はすごく、脳内検閲官が力ずくで「正しい」考えをさせようと働きかけてきます。

そしてポジティブな言葉をかけようとしたり、自己否定をやめようとすると、自分が間違ったことをやっていると感じさせます。そして、脳内検閲官が「分相応」なふるまいに戻るように指示します。

自分が間違ったことをしていると感じてしまう、頭と身体が分離するような行動を続けると、罪悪感や、疲労感におそわれてしまうと思います。

ただ、「直感」に従い、脳内検閲官の言う通りに「分相応」な考え方に戻ってしまうと、楽ではあるけれど、いつまでも自己否定の世界から抜け出すことができません。
やはり、今の「直感」に従わず、どこかで「やせがまん」をする必要があるように思うのです。

しかしこれは簡単ではなく、取り扱い注意なアドバイスです。資格を持ったプロのカウンセラーと一緒に取り組んだほうがいい人もいるかもしれません。

自分のOSを言語化する

事程左様に、自分にポジティブな言葉をかける、という一般的なメソッドが、どうにも「無意味」に感じられたりする場合、自分のOSがじゃまをしている、ということがあると思います。

自己否定をやめるために、もっとポジティブであるために、それを邪魔している自分自身のOSがあることを前提に、それをハックしていく、あるいは、やせがまんをしていく、ということも必要だと思いますが、

そもそものOSそのものを疑い、そしてときには、自身の中にいる検閲官の声を聞き取り、「なぜそんなに私の邪魔をしてくるのか」について、対話をすることも必要になってくるかもしれません。

なので、自分が一体どういう世界観を持ち、どういうOSのもと動いているのか?ということを、いちど言葉にしてみるのも、自己否定をやめようとするうえで、効果的かもしれません。

・・・
という今回のnoteのインスピレーションをくれた桜林直子さんのnoteです。土グループの皆さん、引き続き頑張っていきましょう。


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