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[短編小説]ディストラクティブ・アトラクティエ①

2019年文学フリマ東京のために書いた短編小説です。フザケタ話で誠に恐縮です。

わたくしが、パン屋で働き出したのは、前職を退職し、間もない頃のことであった。働き出した、とはいうものの、アルバイトでの採用であって、まだ気軽なものであった。

わたくしが、前職を退職したのは、わかりやすく心を壊したからであります。そのわかりやすさゆえに、わたくしは一抹の恥ずかしさを覚えずにはいられない。なぜなら、私は、わかりやすく、いじめられていたとか、ハラスメントを受けていたとか、そういうことは一切なかったからだ。
「みんないい人なのです。私が悪いんです」
 何もない道で、私は勝手に転び、骨を折った。
 何の理由もなく、ある日、心が壊れた。私は会社にいけなくなり、皆に心配と迷惑をかけたまま、フェードアウトすることとなった。
「みんなは関係ない」と医師は言った。「あなたが休みたいと思うなら、そうすべきなのです」

 わたくしは納得ができなかった。
 なぜ、私などが心を壊すのか?

あなたは、Aさんほど働いてもいないし、Bさんほど皆の期待を背負ってもいない。Cさんほど重責な仕事をしているわけでもなく、Dさんほど人生に苦労してもいない。人間としての深みも、面白みもなく、軽い人生を生きてきた。
なぜ、あなたは、あなた自身に心を壊すような資格があり、そしていやしくも「治らないといけない」などと思えたのか?あなたには心を壊すような資格もないし、そして壊れたなら、静かに人生から退場すべきではないのか?

それが人の道というものだ。それをしないなんて、責任感に欠けている。
「みんなは関係ない」と医師は言った。「あなたが休みたいと思うなら、そうすべきなのです」
 わたくしはそうは思えない。

「もとは、保険の営業をしてたんですって?」
「いえ、それは前々職のことで」
「では、前の仕事は?」
「広告会社で、営業をしておりました」

私を面接してくれたオサダさんは副店長の女性で、四十代(にさしかからんとする感じの年代の)の、優しそうな顔の丸メガネババア。初対面の人はそれで気を許してしまうというか、なめてかかってしまうようなタイプである。しかし話してみると意外と手厳しく、相手に有無を言わせず、「やらせる」「言い訳を許さない」という空気があった。

「私は、社員も、アルバイトも、いっさい、区別を、いたしません」
 面接の際、オサダさんは、私の目を「キッ」とまっすぐ見据えながら、はっきりと申し述べた。
「与えられた、職責を、全うして、いただくことを、期待します」

 わたくしは、採用面接の会話から、このオサダ副店長の信条として
 一、社会人たるもの重要なのは責任感
 二、やるといったらやる
 三、言い訳よりも行動する人を私は信じます

 などを、心に持っていることをかぎとった。

私は、何のひっかかりもない道で転ぶような、やわな心を持つたわけ者なのである。だから、然るべきタイミングが来たときは、少しの罪悪感を催すことなく、ひらりと職場を後にするであろう。どうせなら、自己都合で華麗に退職を決めてみせ、立つ鳥、跡を濁しまくり、非難ごうごうで悪し様に罵られながら、いなくなってしまいたい。責任感のひとかけらもなく、社会性に乏しい、卑しい人間性の、その底辺を、見せつけてやるのだ。

 私はそのように意気込んで、新しい職場に勤めることとなった。


わたくしとしては、プランがあった。
なぜか心を疲れさせ、自爆にも似たかたちで仕事をやめざるを得ず、人生を落伍した、私のごとき(馬鹿で)不器用な人間には、どこかに「救い」の道があるのではないか。

つまり、私が勤めるべきは、町の小さなパン屋さんではないか。

夫婦が営んでいて、素敵な小さなお店で・・・人と人とのふれあいのなかで、少しずつ心を回復させていく、というような塩梅がいいであろうと、踏んでいたのである。

しかし、私の働くことになったパン屋は、大きな駅に近接した商業ビルに、一つは入っているような、チェーン店であった。

「パン屋」という点が共通しているのみで、舞台としての、物語が始まりそうな、そういう装置としての魅力は、この職場は持ち合わせていないようだった。だいたい、私の街に、そんな素敵な小さな店はなく、あったとしても、人を雇う余裕はなさそうだった。

 それでも「パン屋」は「パン屋」ではないか。チェーン店であっても、アルバイトであっても、副店長は社会的正義に心を満たされていても、とにもかくにも、私は、パン屋に職を得たのであるから、結果オーライ、バスオーライ。

 私の勤め始めたパン屋は、朝の十時に開店し、二十時に閉店する。アルバイトは、あさ番、ごご番、よる番、とシフトが分かれており、私のシフトは「あさ番」であった。

「あさ番」は、朝の六時から、パンを焼くのを手伝って、開店してしばらく接客をし、そしてお昼すぎに引ける。朝が早い割に手当も少なく、アルバイトには人気のない時間帯で、だいたいは社員の方がそのシフトを割り当てられることが多い時間帯である。

私を面接してくれたオサダ副店長も、あさ番として一緒になることが多く、さすがきちんとしている人は朝が早いのだ、と私は感心しきりであった。

これまでの私は、朝早く起きるのが苦手、つまり極端な宵っ張りであり、朝の出勤はとてもつらかった。しかし、いよいよ、人生の転機を迎えるにあたって生活をあらためるべく、わたしは「はや番」に立候補いたしました!
やるき一〇〇パーセント!
というのはウソで、オサダ副店長により、いちばん時間の融通がきくわたくしが、「はや番」に単に割り当てられたというだけだったのですけれども(死ねババア)、とにもかくにも、わたくしは「あさ番」となり、まさに死地に赴くという気持ちを持って、勤めることにした。

(つづく)

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