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大人になるってこういうことって話。

早いもので2022年の1月も、もう半分を過ぎ、月末を迎えようとしているわけだが、それはつまり、冬アニメの放送がほぼ1~2周したということでもある。私も遅ればせながら録画していたいくつかの作品を視聴しているのだが、なぜだろうか。からかい上手の高木さんの3期を見て、物足りないと感じている自分がいることに気づいたわけである。

私は1期、2期と当作品を視聴しているくらいには、当作品のファンであり、好きであったはずなのだが、なぜか、3期に関しては何かが足りない気がしてしまった。何かが変わったのだろうかと疑いもしたのだが、作画も安定しているし、演技の変化もなく、変化は見られない。

そして、私は気づいた。なんてことはない、変わったのは私のほうだったわけである。そもそも、高木さんの2期の放送時期は2019年の7月、今から2年以上も前になるわけで、当時の私はTSUTAYAの暖簾もくぐれないような子供だったわけだ。だからこそ、あの甘酸っぱい関係に、何とも言えない距離感に、学生の無邪気さに、高木さんのからかいに、魅力を感じることができていた。しかし、どうだろうか、今の私は。2年の歳月を経て、18歳という大きな壁も超えた私は変わってしまった。甘酸っぱい関係は甘すぎる砂糖菓子のようで、私にはきつすぎる味になり、何とも言えない距離感には、わずらわしさを覚え、学生の無邪気さには嫉妬を抱く始末である。

まさか、こんなことで自身の成長を、大人になったという実感を得ることになるとは思いもしなかった。悲しいことだが、これは紛れもない事実なのだ。今の私は、二人の甘酸っぱい距離感なんて求めていない。

西方には突然、高木さんに対して冷酷な態度をとるようになったり、本気で嫌がる顔でからかいを否定したりしてほしいと思ってるし、何なら、ほかの女の子とこれ見よがしにいちゃつくことで高木さんの脳を破壊してほしいとすら思っている。からかいを成功させて満足げで笑顔の高木さんよりも、濁り切った目で寂しそうに西方を見つめる高木さんを見たいと思っている。苦しむ高木さんからしか摂取できない養分はある。

と、自身の性癖やフェチの変化を一つのアニメを通して実感したわけであるが、こんなにも悲しいことはない。まさか、楽しむために、幸せを感じるために見たアニメから、戻れないあの頃の自分を感じることになるとは思いもしなかった。

大人になるってことは、身体が大きくなることでも、心が成長することでもない、取り返しのつかない性癖におぼれ、以前の自分を懐かしむようになった時にこそ、人は初めて大人になるのだ。

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