糸屋いと

絵も描けないし、音楽も作れないので、文章を書いてみます。

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最近の記事

保管庫②『共犯』

  先生が教育実習生として学校にやってきたのは夏休みが明けてすぐの事だった。まず、男子生徒たちが口を揃えてその容姿を評した。先生は整った顔をしていて、田舎臭さからかけ離れた風貌に包まれていた。東京の大学からやってきたという事も煌びやかさに拍車をかけて、田舎町の生徒たちは蠅のように先生に群がった。噂が噂を呼び、そこに幾重にも尾ひれがついた。休み時間になると生徒たちは先生を取り囲んだ。罵詈雑言にも似つかわしい質問の豪雨を飄々とやり過ごす先生の姿は、私には別世界の住人の様に思えた

    • 保管庫①『空蝉を抱きしめる』

      日奈が私に向かって口を開いていた。私はそれを眺めている。彼女が何かを喋っているという事は分かるのに、私の耳には、肝心なその声が全くと言っていい程に聞こえなかった。どうしてだろうか。私は疑問に思うのだが、それは彼女が目の前にいることに対してなのか、声が聞こえないことに対してなのか、よく分からなかった。或いは、その二つは私にとって、ちょうど同じ塩梅で入り乱れていた。その真ん中に私は立っていた。 絶えず、なおも日奈はしゃべり続けた。それはまるで、無声映画を見ているかのようだった。

      • 感情における考察

        「そんなに感情的になるなよ」だとか、「一旦、感情論は置いといて…」という言葉。日常生活であったり、小説や映画といった世界であったり、兎角、耳にしたり目にすることが度々ある気がする。 恐らく、物心の付きだした幼少期から、そんな言葉に私は一抹の違和感を覚えてきた。(それは私のひねくれ故かも知れないが…) そして最近になってそれを言語化出来るような気がしたのだ。 その答えは単純で、私は感情をひとつの『共通言語』として認識していたのだと思う。 例えば、こんな経験がある。(これは多

        • 作家の仕事は売れる本を書くことか?

          作家の仕事は売れる本を書くことだろうか? (本文では作家という題に基づいて書くが、各自で置き換えされたし) まず、作家が売れ線を狙うことを全否定はしないが、作家が売れる本を書くことのみにこだわっていってしまったらその体系が画一化されてしまって似通ったような作品しか出回らなくなる気がする。売れるための要素と構成と設定を盛り込むことだけを意識した作品で市場が埋め尽くされることを想像すると恐ろしい気がするし、売れるモノのみにこだわるというのは少数派の切り捨てとも同義であると思う。

          コンテンツの消費速度における考察

          年々、コンテンツの消費速度が速まっている気がする。 (※広義な意味でのコンテンツとする) 少し前まで鬼の首を切ろうと奮起していたかと思えば、 いつの間にか闇を祓っていて、スパイ一家の一員となり、 気が付くとチェーンソーを振り回している。 アレが流行っていると思えば、気が付くと違うソレが流行りだしている。 面白いモノもそうでないモノも次々に消費されていく。 まさしく、忙しない現代人そのもののようにも思える。 西で火が出たと聞きつけて、「どれ、見に行ってみるか」と腰を上げれば

          コンテンツの消費速度における考察

          歩くモバイルバッテリーの話。

          私はよく他人に負の感情を抱く。例えば、町ですれ違ったイケメンには嫉妬するし、彼女連れの男には憎悪を抱く。馴れ馴れしく接してくる奴には不快感や嫌悪を覚えるし、私にそういった感情を抱かせる事象すべてに殺意が湧く。 こういった旨の話を他人にすると高確率で引かれる。どうやら負の感情というものは他人ウケがよくないらしい。とはいえ、私も他人を思いやる心であるとか、慈しみとかやさしさといった俗にいう正の感情を全く持ち合わせていないわけではない。ただ、負の感情のほうが抱く機会が多く、必然と

          歩くモバイルバッテリーの話。

          人類皆、出会い厨になろうよという話。

          人は生きていれば様々な出会いを体験するものである。ここでいう出会いというのは、単純な人との出会いだけでなく、新しい趣味に出会うことや、音楽なんかに出会うことも含まれる。そんな出会いは時として、連鎖して繋がり、変化していくものである。 例えば、私は今、アイドルマスターシャイニーカラーズ(通称シャニマス)というソーシャルゲームに熱中しているのだが、このシャニマスとの出会いも、連鎖的なものであり、また、新たな出会いをもたらしてくれた。 出会いは半年ほど前にさかのぼるのだが、そも

          人類皆、出会い厨になろうよという話。

          大人になるってこういうことって話。

          早いもので2022年の1月も、もう半分を過ぎ、月末を迎えようとしているわけだが、それはつまり、冬アニメの放送がほぼ1~2周したということでもある。私も遅ればせながら録画していたいくつかの作品を視聴しているのだが、なぜだろうか。からかい上手の高木さんの3期を見て、物足りないと感じている自分がいることに気づいたわけである。 私は1期、2期と当作品を視聴しているくらいには、当作品のファンであり、好きであったはずなのだが、なぜか、3期に関しては何かが足りない気がしてしまった。何かが

          大人になるってこういうことって話。