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オードリー若林の『完全版社会人大学人見知り学部卒業見込』を読んでの自分語り

「だが、情熱はある」の余韻に浸りながらぼーっとしていたら、気づかぬうちにAmazonでこの本の購入ボタンを押していた。(※「だが、情熱はある」は南海キャンディーズ山里とオードリー若林の半生を描いた日本テレビのドラマ)

若手芸人の下積み期間と呼ばれる長い長いモラトリアムを過ごしたぼくは、随分世間離れした人間になっていた―。スタバで「グランデ」と頼めない自意識、飲み屋で先輩に「さっきから手酌なんだけど!!」と怒られても納得できない社会との違和。遠回りをしながらも内面を見つめ変化に向き合い自分らしい道を模索する。芸人・オードリー若林の大人気エッセイ、単行本未収録100ページ以上を追加した完全版、ついに刊行!

『完全版社会人大学人見知り学部卒業見込』背表紙あらすじ


オードリーがM-1グランプリ2008年で準優勝しテレビに出始めてから、5年ほど若林正恭が連載していた短いエッセイが文庫本になっている。「だが、情熱はある」にもこの連載を書いている場面があったし、エッセイをそのまま読み上げるシーンもあった。「だが、情熱はある」の補完にはこの本はぴったりだった。

‎KADOKAWA/メディアファクトリー (2015/12/25)


歌や小説、映画でも何でも、聞いたり読んだりして自分と重ね合わせることは誰でもすることだと思う。というか、どのくらい自分と重ね合わせられるかでその作品に対する自分の評価が決まると思う。例えば、歌で言えば西野カナの「トリセツ」(もう古いか)とかAdoの「うっせえわ」とかは自分とぴったり重なっている(自分の言いたいことを代弁してくれている)と思う人が多かったから流行ったのだろう(もちろん耳に残るメロディーとかもあるけど)。まあ何が言いたいかというと、この本と自分がぴったり重ね合わさったということである。なんと、僕は若様であり、若様は僕だったのだ…
(※「若様」とは、オードリーがアイドル的人気を得ていった中で、ファンが呼んでいたあだ名。若様可愛い!などというように使われたが、本人は心底嫌だったらしい。7/5放送「あちこちオードリー」で黒沢さんが連呼していて脳に刷り込まれてしまったため使っている。)


あこがれの若様に感情移入しすぎているだけかもしれないという部分を差し引いても、精神性が似ていることは間違いない。そして、この本の構成もぼくとかなりリンクしている。「社会人一年生(まえがき)→社会人二年生→社会人三年生→社会人四年生→真社会人→社会人大学卒業論文」という構成で、前半の若様はしんじられないほどの自意識過剰ででずっと悩んでいる。雑誌の仕事で、虎の被り物をかぶって笑顔で写真撮影を頼まれたのにそれを嫌がり、結果的に被り物を頭にのせて無表情の写真を撮ってもらった、というエピソードが載っていた。

https://ameblo.jp/happyprince007/entry-10429730490.html

後半になると、若林は社会での生き方を習得していく。そして一年前二年前を振り返り、今の自分ならもっとうまくやるなー、なんて考えていたりもしている。「真社会人」最後の章では、

今も誤解されているだろうが、それはもうあまり気にならなくなった。誰かに自分のことをいわれているようで、誰かは僕を通して自分のことを言っているからだ。誤解は人前に出て飯を食う者が負う逃れられない宿命だ。人目に出て自己愛を満たしお金ももらいながら、誤解もされたくないんて虫がいいにもほどがある。

『完全版社会人大学人見知り学部卒業見込』
332ページ

と言ってしまうほど、自分の精神と折り合いをつけることができている。

この精神の変化が、僕自身とリンクしていた。

僕が高校一年生のころ、体育祭で同じクラスの一年生から三年生まで全員でダンスをする種目があった。三年生の振り付け担当の人が一年生の教室まで来て指導をしてくれていた。その指導の中で、みんなもっと笑って踊ろう!と何度も言われた。当時の僕は、なんで楽しくないのに笑わなきゃいけないんだよ、と本気で思っていた。絶対に笑顔を見せなかった。

同じく高校一年生のころ、家庭科で小さなバッグを作る授業があった。バッグを作る布は自分で買って用意しなければならなかった。僕は家の近くの手芸用品店に行き、在庫処分ワゴンにあった一番安い布を買った。幼稚園児が使うような布のデザインだったが、全く気にしなかった。

こんな感じのデザイン

授業が始まり、この布でバッグを作っていたら近くの席の明るい女子が、諏訪湖くんの生地かわいいね、と言ってきた。決して馬鹿にしたり皮肉めいたりした言い方ではなかったが、当時の僕は馬鹿にされたと思い、返し方がわからず3秒間フリーズした。そしてフリーズを見かねてか、諏訪湖くんに無視されたんだけどー(これまた嫌な言い方ではなく)、と言われた。僕はこれは喧嘩だと思った。お前がその気ならこっちも徹底抗戦してやると思い、そのままだんまりを決め込んだ。
今思えばひどい被害妄想である。

こんな自意識過剰すぎた人間も、現在までの4年の経験で少しだけ社会性を身に着けることができた(と、思っている)。100点満点中マイナス100点だったのが40点になったようなものだが、赤点は回避している(と、思いたい)。
たまに、高校一年生の精神にのっとられることもあるが何とかやり過ごす術も手に入れた。波長の合う友達もできたし、新しいことに挑戦する勇気も少しだけ持ち合わせてきた。


この変化が若林のそれと同じのような気がしたのである。


もちろん若林はM-1で準優勝し、レギュラー番組をたくさん抱え、たくさんのファンがいる「すごい」人間であり、何も成し遂げていない僕とはその点で大きな違いがある。

けれど、それは「結果」という面である。

そして、「結果」というものが楽しく生きることにおいて自分にあまり有効なものではないように感じ始めた。(中略)自分の胸を探ると、つかめるのはいつも過程だった。

『完全版社会人大学人見知り学部卒業見込』
334ページ

僕が悩み試行錯誤しながら今のぼくになった過程は自信をくれる。僕は大学生なので、その身近な例を出すと、大学受験で「志望校に合格した」という「結果」よりも、「そこに向かって必死に勉強した」という「過程」のほうが人生における自信になると思う。なんだか受験直前の予備校講師が行ってそうなことを書いてしまった。



今悩んでいる人も、かつて悩んでいた人もぜひこの本を読んでほしい。なにかしら得るものはあると思う。

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この本が届いた日は忙しかったので、夜中その日の日付が変わるころから読み始めた。毎晩寝る前に少しずつ読むつもりだったが、夢中になり一気に読み終えてしまった。気づいたら窓の外が明るくなっていた。おそらく今日は朝ごはんを食べてから寝るのだろう。若林はこの本のタイトル『完全版社会人大学人見知り学部卒業見込』の『卒業見込』というのは、いつまで経っても卒業できないというメッセージをこめているらしいが、完全に昼夜逆転してしまった僕も大学卒業見込になってしまうかもしれない。

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