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文章を書くことはインタビューを受けることに似ている

阿川佐和子さんの『聞く力』に、インタビューの醍醐味は思わぬ引き出しを開けてしまうこと、とあった。

ぼくは、仕事で1回だけインタビュー取材を受けたことがあるけど、誰かに話を聞いてもらうと「自分でもこんなこと考えていたんだ」と驚くことがある。

インタビューは、事前に質問をもらって、それについて考えて、当日の取材にのぞむという流れが多い。
事前質問を前に、取材される人は記憶の引き出しを開けたり閉めたりしながら、「なにか話せることはないか」と考える。その時間が30分でもあれば、「そうだ。あのことを話そう」というものが1つは見つかるはずだ。

ただ、その準備の通りにインタビューが進むことは、あんまりない。話そうと思っていた「あのこと」の周りには、意外な別のことが埋まっている。それを探し出すのが、聞き手の力だ。

「あれ、なんで仕事の話が小学校の思い出につながってるんだろう?」
「どうして子供の話に、母親の言葉が出てくるのだろう?」
みたいなことがある。
ときにそれが、宝物だったりする。

文章を書くということは、自分で自分に対してインタビューの質問を繰り返しているようなものかもしれない。
「これってどうだったんですか?」
「誰と、そうしたんですか?」
「なぜ、こう思ったんですか?」
「どうして、あんなことしたんですか?」

自分の過去や、今なぜそう思うかを掘り下げていくうちに、意外な答えが見つかったりする。その意外な答えは、自分の心の小さな変化や、感情のゆらぎとつながっていたりもする。
だから、日常生活でほんのささいな変化を見落としてしまわないよう、ぼくは文章を書くのかもしれない。

書き残しておけば、あとで眺めたときに変化の兆しを見つけられる。
それが、文章を書くことの醍醐味だと思う。

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