婚約者に会えなくて発狂しかけていたら、政府に「別にそれでいいじゃん」と人生をぶっ壊された話①


 多くの方がご存知のように、コロナ禍において日本はかなり厳しい鎖国体制、つまり外国人の受け入れを拒否している状態にある。どれくらい厳しいかというと、かなり厳しい。相当厳しい。ただし、「厳格」という意味合いの「厳しい」なら良いのだが、受け入れの基準があまりに不透明で一貫性がなく、正直に言えば「くそヤバ」いの意味合いの「厳しい」だと思う。厳しすぎてもうお手上げだ。
 こんな風に言うのも、私がその「くそヤバ」さに巻き込まれた当事者であり、嫌と言うほど辛酸を舐めてしまったからだ。辛酸を舐めるどころか、平たく言えば相当に人生がぶっ壊されてしまった。ぶっ壊されて、冗談抜きで涙が枯れるほど泣いた。本当だ。人間、泣きすぎると涙が出てこなくなって、代わりに鼻水が出てくるのを知った。だから10月は信じられない量の涙に加えて鼻水を流した。鼻の下はガピガピになったし、涙と鼻水を拭きすぎてヤバいことになったタオルを何枚か処分した。それくらい来る日も来る日も泣いたのに、解決策は全然見つからなくて、今もどうして良いか分からない。


 もはや何も分からないけれど、こんな理不尽な経験をする人がこれ以上増えるのはたまったもんじゃない。そのためには自分一人の苦しみとしてこの経験を消化してはいけない。私は怒っている。当事者として、この理不尽さと悔しさと悲しさとやるせなさを広めることで、このクソみたいな状況に抗わないといけない。そんな気持ちでこの記事を書いている。
 怒りの対象は外務省と法務省(入国管理局)だ。けれど、根幹を辿ればこの状況を作った現政権に向かう。この記事では、ここ数ヶ月の彼らとやりとりと公にするとともに、その間に味わったどうしようもない悔しさと悲しさとやるせなさを書き残したい。今この段階でこれを発信しようと思ったのは、総選挙の前だからという理由が大きい。
 もしこの記事を読んでくださる方いるのであれば、この国が行う、歪で不透明で矛盾に満ちた政策の一側面を知った上で、投票先を一考してほしいと強く願う。

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【背景】
私には交際5年目になる恋人がいる。ヨーロッパのある国で生まれ育った人だ。国籍はここでは書かない。その理由は後述する。
 彼はとにかく良い人で、いかんせん私は彼のことがとても好きなので、その気があれば延々と彼の好きなところを語ってしまう。それはまた別の機会に譲るとして、ここでは彼が長らく来日するための努力を重ねていたことだけ強調したい。幼い時から日本のアニメや映画に親しんで、日本に行くことを決めてからは毎日数時間日本語を勉強してきた。日本で働くことを夢に見て、冗談でもお世辞でもなく並々ならぬ努力を重ねてきた人だ。
 そんな彼とひょんなことから出会って2017年に交際を始め、2019年に口約束で婚約をした。それから次のステップに進むべくあれこれ準備をしていたのだけれど、残念なことにその予定のどれもこれもが新型コロナウイルスの影響によって潰えてしまった。彼は元々ワーキングホリデービザで日本に来ようとしていたのだが、ビザの発給が完全に止まってしまったのだ。それからもなんとか日本に入国できる手段を探して、学生ビザを申請するなどしてきたのだが、如何せん国境が開かなくて彼の入国ができない。これまでずっと日本に来るために準備をしてきた人だ。婚約してからは、会社にもそれを伝えて、「いつ日本に行けるようになるか分からないから」と無理を言って短期のプロジェクトを回してもらっていた。キャリアを犠牲にしながら、ずっと日本の開国を待ち続けてくれていた。それなのに、状況は一向に明るい見通しは持てない。

 それでも、「あと1ヶ月待ったらきっと何かしら政府の政策が変わるだろう」と信じて待っていたら、最後にまともに会って(2019年3月)から1年半が経ってしまった。1年半!新生児も言葉を話し始めるんですが。
 そしてその間に、私のことを育ててくれた96歳の祖母が、いよいよ深刻な状況になってしまった。祖母は、私の人格形成において最も影響を与えてくれた人の一人だ。共働きだった両親に代わって、幼いわたしの面倒をずっと見てくれていた。
 彼を祖母に紹介するのは私の夢だったし、祖母も彼の来日を心待ちにしていたし、彼も祖母に会うのを楽しみにしてくれていた。そんな祖母がいよいよまずいとなっては、もうこれ以上呑気に開国を待っている場合ではない。

 最後の手段として、祖母と彼の面会を叶えるべく、そして婚姻にかかる手続きを済ませるため、「特段の事情による入国」許可を大使館に申請したのだが、そこからの大使館と入館の対応が冒頭の説明につながる。結果を先に述べると、申請は却下された。合計で100ページ以上の書類を出した。徹夜で申請書を作った。大使館と入館に言われるまま4回申請し直した。数週間で出ると言われた結果を2ヶ月待った。それでも、通らなかった。
 感情的に書こうとすると、延々とつらつら書いてしまうので、次の記事では①我々が申請した書類と内容、②それに対する政府の対応、をできるだけ視覚的に、客観的に紹介したい。

3章構成の予定なので、今日、明日、明後日に分けて少しずつ書き殴っていきます。そのにつづく。




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