見出し画像

お寺でできることはいっぱいある

愛知県岡崎市の矢作地区にある正法寺は、住職の長谷部俊成さん(58)を中心に、長男の悠弥さん(31)、次男の暢弥さん(28)との親子3人によって守られている。寺離れ、後継者不足、お墓じまいなど、お寺を取り巻く環境が変わっているなかで、門徒さんや地域とのつながりの大切さを改めて感じている。


父が住職、兄は副住職、弟は若院

――ご住職からご紹介いただけますか。
俊成さん「私が27代目の住職で、長男が副住職、次男が若院ですね」

長谷部俊成住職

悠弥さん「お葬式やお参りなど今は3人で分担してやっています。私が住職を継ぐ予定で、将来、弟がほかのお寺へ行くことになったら、頼れなくなって、負担が増えてしまいますね」

――正法寺はずっと矢作にあるんですか。

俊成さん「何度か移転しています。矢作川の東側、中之郷町あたりにあったこともあり、1232年(貞永元年)に安城市山崎町へ移りました。1659(万治2)年に今の本郷へ移転して約360年です」

悠弥さん「開基の明観さんは、親鸞聖人(浄土真宗の宗祖)とほぼ同時期の方で、元々は天台宗でした。今のJR西岡崎駅の近くに妙源寺の柳堂(国・重要文化財)があります。親鸞聖人がそこへ来た時に開基さんもお話を聞きに行って、浄土真宗に改めたそうです」

長男の長谷部悠弥さん

一向一揆で収束を取り成す

――正法寺は三河五箇寺に数えられる有力なお寺で、三河一向一揆では徳川家康と戦ったんですね。

悠弥さん「そうです。一揆の翌年、収束するときに9代目の明賢さんが取り成したと、お寺の由緒書きに書かれています。明賢さんが、家康のお母さんの姉妹だった妙春尼とつながりがあったので、その方を通じて。事実かどうかは分かりませんけれども……。その後、三河のお寺の人たちは追放され、各地で一向一揆に参戦したのですが、うちは石山合戦で織田信長と戦いました」

俊成さん「その時、常にたぶん懐に入れていたと思われる『血染めの御文』がお寺に残っております」

血染めの御文(正法寺提供)

――正法寺には、江戸時代後期から明治初期に東海地区で活躍した名古屋の伝説の彫刻師、瀬川治助の作品もあると聞きました。

悠弥さん「詳しいことは分かりませんが、大学の教授が何度も調べに来ていますね。水屋の龍の彫刻は目がちゃんと入っていて立派なものですよ。鐘楼堂はけっこう古いのでだいぶ傷んでいるようです」

水屋の龍の彫刻

兄弟そろって僧侶に

――歴史あるお寺で生まれ育ったご兄弟がそろって僧侶になったのは自然な流れですか。

暢弥(まさみ)さん「美容師とか、ファッション関係が好きなのでその方面で働こうかとか、あったんですけど、いろいろやりたいことがありすぎてひとつにまとまらなかった感じです(笑)。小さいときからお参りに連れていかれていましたし、一応、資格を取って、お寺で働けばいいかなと、少し軽い考えで、大谷大学の真宗学科に進みました。甘い気持ちで僧侶を始めた部分があったんですが、今、違う仕事をすると想像したら、やっぱり自分はこれしかない、と感じています。お参り先で昔の話や自分の祖父の話を聞くのは楽しいし、ご門徒さんの中には正信偈を僕より読み込んでいる方もいて、学ぶこともあります」

次男の長谷部暢弥さん

――お兄さんはいかがですか。

悠弥さん「特別に『お寺を継ぐ』という意識はなく、自然な流れですね。私も大谷大学へ進み、社会の教員免許も取りました。文学部歴史学科で大学院まで行きました。専攻したのは日本史のちょうど親鸞聖人のこととか、三河一向一揆のころです」

――それで詳しいんですね。

悠弥さん「好きなことだけをやらせてもらい、僧侶になりました。お寺と教員や公務員を兼業されている方も多いですが、今のところ、お寺だけでなんとかやっています。これからどうなるのか分かりませんが」

報恩講の参加は昔から半減

――跡継ぎ問題を抱えるお寺もある中、ご兄弟とも僧侶になられて安泰かとも思いますが、そうでもないんですか。

俊成さん「僕は岐阜県養老町のお寺の出身で、正法寺に養子で来た当時は報恩講に50~60人くらい来られて、本堂がいっぱいになっていました。今だと半分以下になっています。昔と違ってお寺に来る人が減ってきました。最近は墓じまいや仏壇じまいをされる方が増えていると言われていますが、正法寺でも最近2、3年で5、6件の墓じまいをしましたし、ご仏壇のお精抜きもしました」

――そうなんですね。

俊成さん「遠方に住んでいてなかなかお墓参りができないという方も多く、若い人はご家族が亡くなっても『お墓も仏壇もいらない』という方がいる時代ですから」

鐘楼堂

大切なのはご門徒さんとのつながり

――それぞれご事情があると思いますが、この状況で、お寺はどうすべきとお考えですか。

俊成さん「やはりご門徒さんとお寺とのつながりでしょうね。月参りでおじいちゃんやおばあちゃんとお話をしますけど、息子さんたちの代になると仕事が忙しい、時間がないと言われて、行かなくなってしまいますから。ご門徒さんとの交流が一番大事です。今、坊守(妻)が月に1回、コーラスの練習をやっています。ヨガ教室をやっているお寺もけっこうありますよね。息子たちは二人とも保育園に通っているころから書道を続けて師範を持っていますので、書道教室とか」

――ご兄弟は書道がお得意なんですね。

暢弥さん「はい、唯一続いています」

悠弥さん「お寺の近くに先生がいらっしゃって。でも、近いから、お寺で書道教室はしないです」

暢弥さん「僕は、もしほかのお寺へ入ったら書道教室をやりたいなと思ったりしています」

自然に足がお寺へ向くように

悠弥さん「僕はなにか特別なことをするというよりも、自然とご門徒さんの足がお寺に向くようになってくれるようにしたいですね。例えば、年に3回、お寺からの広報誌を私がつくっているので、それを読んで『一回お参りしてみようかな』みたいなふうになればいいですよね。最初はホームページをつくることも考えたのですが、ご門徒さんのご年齢を考えたら紙媒体の方がいいかなと思いまして」

山門

――矢田石材店がお寺の本堂でのお葬式をサポートする「お寺でおみおくり」の賛同寺院になったのも、ご門徒さんをはじめ地元のみなさんとのつながりを考えてのことですか。

俊成さん「お寺でお葬式をする文化がなくなってしまったら、寂しいじゃないですか」

葬儀も、挙式も、初参りも

悠弥さん「賛同のお話をいただく前から考えていました。小学生の時に幼馴染のご家族のお葬式をお寺でやったのが、僕の記憶では最後ですね。お葬式はもちろんですが、お寺では結婚式も挙げられます。お寺の人間は仏前で結婚式を挙げますが、一般の方もできます。チャペルにこだわらなくてもいいんじゃないですか(笑)。赤ちゃんの初参りも神社へ行く方が多いと思いますが、お寺でもできます。お寺でできることはいっぱいあるんですよ」

――お寺の持っている可能性を知ってもらうことも必要ですね。

悠弥さん「お寺は『雲松山 弘宣院 正法寺』といいます。弘宣(ぐせん)は広く知らせるという意味があります。『正法』は仏教で、仏の教えがよく保たれて、修行する人もいて、悟りも得られる時代のこと。名前の由来は分かりませんが、正しい教えを広く伝える使命があると思っています」

俊成さん「お年寄りも、若い人も、自然に入ってきていただける、そんなお寺にしたいですよね」

本堂の前で

寺名:雲松山 弘宣院 正法寺
宗派:真宗大谷派
住所:愛知県岡崎市東本郷町西屋敷22


永代供養のついた安心のお墓「はなえみ墓園」。
厳かな本堂でのお葬式を提案する「お寺でおみおくり」。
不安が少なく、心のこもった、供養の形を、矢田石材店とともに考える、お寺のご住職のインタビューをお届けします。
毎月の第2、第4月曜日に更新する予定です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?